はあはあと荒い息づかいが二つ。
セナと鈴音は屋敷の中を走っていた。こっそりとまもりの部屋をノックしても返事がない事に不審を抱き、入り込んでみればそこはもぬけの殻。
それに青ざめた二人の耳に、物音が聞こえた。
執務室。
二人は顔を合わせ、そちらへ向かって掛けだした。
まもりの手にあったのは懐刀。その刃を向けられても主は平然としていた。
「とうとう殺る気になったか」
軽い口調で言うには物騒な言葉に、まもりはかたかたと手を震わせている。
「随分と時間が掛かったんじゃねぇか」
主は書類の山から抜け出し、まもりの前に立つ。
唇を震わせ、ただ見上げるまもりに、彼は殊更質の悪い笑みを浮かべる。
「俺を殺したいんだろ?」
ホラ、と近づいた彼に向かってまもりは懐刀を闇雲に振った。彼のシャツが切れ、血が滲むが大した傷ではない。
「そんなんじゃ俺は殺せねぇぞ」
ぐい、とまもりの手を掴んで彼はその切っ先を自らの胸に当てた。
「ここだ」
そこは心臓。
「このまま貫けば、敵討ち成立だ」
にやあ、と笑う男に、まもりは唇を噛みしめる。その瞳から溢れる涙は音もなく絨毯に吸い込まれていった。
「さあ」
殺れ―――と。
囁く声に、まもりは目を瞑り、思い切り懐刀を振り上げた。
「だめです!」
「やめて、まもり姉ちゃん!!」
そこに小さな人影が二つ飛び込んできた。一人は主を押し倒し、一人はまもりに抱きつく。
ヒル魔を倒したのがセナ、まもりに抱きついたのは鈴音。
そうして懐刀がその刃を突き立てたのは―――
「キャァア!!」
悲鳴を上げたのは鈴音だった。
その細い右腕に懐刀が深々と突き刺さっている。
まもりが懐刀を振り上げ、刺そうとしたのは主ではなく、自らの腹だった。
そこを咄嗟に庇った鈴音の腕に刃が刺さったのだ。
「鈴音!!」
慌てて近寄るセナ。それを呆然と眺めるまもりの夜着を鮮血で染めて、鈴音がぐったりと力無く倒れる。
ずるずるとしゃがみ込む鈴音の腕に刺さった懐刀をセナが咄嗟に抜こうとしたが。
「馬鹿、抜くな! 失血死すんぞ!」
先ほど切り裂かれた事で使い物にならなくなったシャツを脱ぎ、主は刀が刺さったままの鈴音の腕をがっちりと縛る。
そのまま電話へと歩み寄り、医師を呼び出した。倒れた鈴音は衝撃に意識を失ったのか、身じろぎもしない。その身体をセナが抱えた。
「あ・・・あ・・・」
血まみれの手を見たまもりに、かつての恐怖が押し寄せる。
同じようにこの手が深紅に染まったとき、セナは傷つき倒れ、そうしてこの屋敷を去った。
家名を求めた夫はただ夜だけ訪れて、抱き人形のようにまもりを扱う。
今は鈴音が倒れている。彼女も離れてしまうのか。セナと同じように。
そしてまた思い知るのか。
―――誰も『まもり』という彼女を必要としないという事実を。
「いや・・・」
恐慌状態に陥りそうになったまもりを細いが力のある腕が抱き留めた。
「落ち着け、この程度じゃ死なねぇよ」
「・・・あ・・・」
がくがくと震える、返り血に染まるまもりを、主は躊躇いもなく抱きしめる。
「大丈夫だ、落ち着け」
まもりはその温かさに彼にしがみつこうとしたが、手が血まみれである事に気がついて動きを止める。
服も鮮血に染まっているから彼が汚れる、と思ったが、主は頓着することなくまもりを抱いている。
あたたかい腕に、まもりは細い声を上げて泣き出した。
その後、医師は不自然なくらい早く到着して鈴音を手当てした。
おそらくそれも主が手配していたことなのだろう。
出血は酷かったが、輸血する程ではないと診断され、鈴音は入院もせずに済んだ。
医師が立ち去った後、意識を取り戻した鈴音を囲んで四人が顔を合わせた。
皆血まみれで結構な惨状だ。
「ご、めん・・・なさ・・・」
たどたどしいまもりの声に、鈴音はそれだけでぼろっと涙を零した。
「まもり様の声が聞けて嬉しいです・・・」
もしかしたらずっと聞く事が出来ないかも、と危惧していただけに、痛みを忘れる程嬉しかった。
それにまもりも涙を零す。感動的なシーンだ。
けれど。
「よくもまあ俺の前に顔出せたな、糞チビ」
剣呑な主の声に三人がぎくりと身体を震わせる。
この屋敷に立ち入る事を禁じられていたセナに主はにやりと質の悪い笑みを浮かべた。
「どんな目に遭っても言い訳はないナァ?」
「だ、だめ」
まもりが青くなってセナを背後に庇うが、彼はその背後から自ら主の前に出る。
「何の言い訳もありません。ただ、私を撃ち殺すのなら二人の目のないところでお願いします」
全く怯まないセナに、主はひたりと視線を向けていたが、やがて口を開いた。
「仕事をやれ。テメェにこの屋敷の管理を任せる」
「は!?」
「え!?」
驚くセナとまもりに主は面倒そうに言った。
「そうなりゃもう俺がここにいる必要はねぇだろ」
立ち上がろうとする彼に、鈴音は痛みに顔を顰めつつ、傷のない左腕でしがみついた。
「駄目です!」
彼は消えるつもりだ、と鈴音は必死に言いつのる。
「まもり様とお腹のお子様はどうなるんですか?!」
「テメェ・・・」
つい数時間前に同じ事を尋ねた鈴音の企みに主は舌打ちする。
ここで同じようにまもりへ直接言うようにし向ける彼女を振り払ったが、更に縋る手がある。
まもりだった。
「こ、どもが出来たから、私は、用済み、ですか」
「テメェも清々するだろ」
まもりの手を主はそっけなく振り外そうとする。けれどまもりは離さなかった。
「もう顔も見せねぇつもりだ。ああ、金の心配なら―――」
「だったら! どうしてわた、しを抱いた、んです、か! 家名が、欲しか、ったなら、こども、なん、て!」
主の声を、まもりは遮った。
長く閉ざしていた喉は、引っかかりながらも彼女の気持ちを音にしていく。
「わたし、なん、て、いらなかった、んで、しょ?! わたし、の、持ち主、だなん、て、言って・・・」
鈴音とセナは沈黙し、じっと二人の成り行きを見守っている。
「私が、嫌い、なら、抱かなけれ、ば、よか、った、のに!!」
それは血を吐くような慟哭だった。
怒りと悲しみで煌めくまもりの瞳を見て、主はようやく口を開く。
「気が変わった」
まもりの頬を彼の指がすっと撫でる。
「俺はただ、おまえを―――」
まるで壊れ物を扱うかのように優しく触れて、彼はふっと表情を和ませた。
ゆうるりと、幸せそうとさえ言えるような表情で。
「ただ、・・・愛したかっただけだ」
ずる、とまもりの指から力が抜けた。彼はそのままきつく食い込んでいた指をそっと外させる。
「忘れろ」
そう囁き、踵を返そうとする彼に、再び縋りつく指。
「いや」
「放せ」
「だって、離したら、あなた、どこか行っちゃう」
「その方が都合良いだろうが」
「そんな、こと!」
まもりは首を振る。
「私の気持ちを、聞いて」
ぼろぼろと碧の涙がこぼれる。
「私も、あなたの事を、ずっと」
主の目が見開かれる。
「私だけが、あなたを好きなのだと、ずっと・・・」
だから鈴音に尋ねられたときも、素直に頷けなかった。
元より家名のおまけの抱き人形、もう誰にも好かれるはずがないと諦めていた。
夜だけ優しく触れられても、朝は一人。昼日中に顔を合わせたときの素っ気なさに辛さが増すばかりで。
一人恋いこがれて苦しむのが辛くて、誤魔化すしかなくて。
「ずっと、寂しかった・・・!」
その胸に飛び込んできた身体に主は静かに触れた。
そんな二人にセナと鈴音は互いに視線を交わすと、そっとその場を後にした。
<続>
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同人歴は読み専門も含めると二桁は楽勝。
よろしくお願いいたします。
【裏について】
閉鎖しました。
現在のところ復活の予定はありません。