翌朝。
「まもり様、おはようございます!」
鈴音がまもりの部屋に入ると、まもりはまだ眠っていた。
けれど彼女は規則正しく生活しているので体調不良であるとき以外はちゃんと起こして食事を摂らせないとならない、と聞いている。
「今日は良い天気ですよ」
言いながらカーテンを開く。差し込む明かりに彼女の瞼がぱちりと開いた。
深い碧の瞳がやはり美しくて、鈴音はにこにこと笑うが。
「っ」
まもりが身体を起こすと、するりと掛布が落ち、彼女の白い肩がむき出しになった。
服を着ていないのだと察した鈴音は真っ赤になってしまった。
主が夜に訪れていたなら当たり前のことだ。すっかり失念してしまっていた。
「も、申し訳ありません!」
慌てて着替えを渡して、けれどその前に身体を拭いた方がいいのだろうか、と頭を悩ませる鈴音にまもりは指さした。
その先にはガウンがある。それを渡すと、まもりは自らそれを羽織って立ち上がった。
「あ・・・お風呂ですね」
考えればこの部屋にはお風呂もあるのだった。
気怠げな彼女を風呂場に案内し、鈴音は先ほどの彼女の身体にちらりと見えた朱印を思い出す。
ヤー、熱々だね。
こっそりと胸の内だけでそう呟いて、おそらく主にはぎ取られたのだろう床に落ちた服を拾い上げた。
まもりの給仕をし、その片づけも済むと、まもりが次は何を所望するのか、と鈴音は彼女を伺う。
けれど彼女は特に何も言わず、ただ静かに座っている。
「・・・あの」
声を掛けると、まもりはすっと視線を上げた。
「お外に行きませんか?」
それに彼女は目を見開いた。
「今日は天気がいいんです。このお屋敷、お庭も綺麗なんで、お散歩もいいかなって思ったんです」
変な事を言ったのかな、と伺う鈴音に彼女はそっと首を振った。
それが疲れているようで、鈴音は慌てて言いつくろう。
「あ、まもり様はお疲れですよね! すみません、気がつかなくて!」
けれど俯くまもりに、鈴音は慌てる。また余計な事を言ったかとぐるぐる自分の思考に嵌ってしまう。
「やー・・・」
口癖が出てしまった。泣きそうな顔をしている鈴音の手をそっと引くまもりの手。
それに逆らわず、鈴音はまもりの足下に座り込んだ。
「まもり様・・・」
彼女は幽かにだけれど、困ったように笑っていた。
そんな顔をさせてしまった事が申し訳なくなるような、綺麗な顔で。
「すみません、私、余計な事を言うなってよく怒られるんです」
促すようにまもりの手は鈴音の頭を撫でている。
「こんなんじゃまもり様のお側にいてもご迷惑になってしまいますね」
それに鈴音の手が握られる。
「まもり様?」
もどかしそうに何かを伝えたがって、けれど叶わないように鈴音の手を握りしめる。
それが縋る子供のようで、鈴音はまもりを見つめた。
言葉を発した訳でも、唇が動いたわけでもない。
けれど鈴音にはまもりが言いたい事が判った気がした。
「・・・大丈夫です。まもり様が嫌だと仰らない限り、私は出て行きません」
それにまもりはほっとしたように手の力を抜いた。それから不思議そうに鈴音を見る。
何故、と言いたそうな顔に鈴音はにっこりと笑って言った。
「私、まもり様が大好きですから!」
まだお会いして二日目ですけど、もう大好きです! そう重ねて言えば、彼女は嬉しげに目を細めた。
最後の仕事を終えてさあ下がろう、という段階になって、そういえば主に命じられていた事があったのだと鈴音はかろうじて思い出した。
厨房に行くと既に話が通っていて、料理長が手ずからコーヒーを淹れてくれていた。とかくコーヒーの味にはうるさい人なのだという。
だから冷めないうちに早く行け、と言われて鈴音はかちゃかちゃと音を立てながらカップを運んだ。
「失礼いたします」
ノックして入ると、山のような書類に埋もれている主の姿があった。
「コーヒーをお持ちしました」
「ああ」
どこに置こうか、と悩んでいると手を伸ばされた。
直接渡すなんて、と思ったけれどこの状況では下手に置いて倒したときの方が悲惨だ。
カップを渡したからにはもうお役御免なのだが、きっと彼は別の目的があるのだろう、と鈴音は考えていた。
それはおそらくあの美しい奥様のことなのだとも。
沈黙が満ちる。
本来ならそれを崩すのは彼の方なのだろうが、鈴音はごく自然に口を開いた。
「奥様に散歩されては、と申し上げましたが、断られてしまいました」
それに彼の手がぴたりと止まる。
「お天気が良かったのでよかれと思ったのですが」
「ホー」
「お疲れのようでしたし・・・」
「そりゃ疲れてるだろうなぁ」
ケケケ、と笑う彼に違和感を覚えて、鈴音は彼を伺う。どこかひどく寂しそう、な。
そう思った途端、するりと言葉が滑り落ちる。
「お疲れなのはご主人様ではないですか」
それに彼はピンと片眉を上げる。
あ、またやっちゃった、と思うがもう遅い。
余計な事を言わなければいいのに、と何度雇い主からも同僚からも言われた事か。
青くなる鈴音を咎めることなく、彼はふんと鼻を鳴らした。
最初の時といい、彼はあまり言葉については煩く言わないようだった。
しつけに厳しい貴族がほとんどだと聞いていた鈴音には新たな発見だ。
「もう下がれ」
空になったカップを押しつけられ、鈴音は頭を下げて退室した。
視界の端で小さく嘆息する彼の姿を見ながら。
数日が経過すると、鈴音はこの屋敷の使用人達が一様に苦く笑みを浮かべる理由が判ってきた。
普段は多忙なのもあるだろうが、それ以上に意図を持って妻と接点を持とうとしない主。
心を病んでいると聞いているけれど、実際は口を利かないだけで感情がちゃんとあり、そして何故か外に出たがらないその妻。
妻の前で主の事は話してはならず、仲が悪いのかと思いきや夜は必ず閨を共にしているらしい。
朝、鈴音が尋ねるときにはまもりは一人きりで眠っているけれど。
まもりの側にいる鈴音であっても、彼女が主をどう思っているかは言葉に出来ないせいもあってまったく判らないが、主が妻を気遣っているのは知れた。
コーヒーを持って行くのは最初こそ混乱したけれど、結局まもりが日中どうしているのかを主は聞きたいだけなのだ。
そうと判ってからはなるべく事細かに彼女の事を伝えられるようにしている。
夜に尋ねればいいのに、そう思っていても揃ってどこか暗い瞳をする二人はその胸の内を告げたりはしないのだろうか。
仲が良いのか悪いのか、好きなのか嫌いなのか判断がつかなくて、それに口出しも出来ず、使用人達もみんなあんな顔になってしまうのだ。
もどかしいな、と鈴音は思う。
好きなら好きだと、嫌なら嫌だと言えてしまえばいいのに。
やれ家柄だ、血筋だと余計な物が付きまとう貴族には無理な話なのかも知れないけれど。
鈴音は気分を切り替えるべく深呼吸し、まもりの部屋に入る。
「まもり様、これを飾ってもいいですか?」
庭師に貰ってきた花を抱えてやって来た鈴音に、まもりは目を丸くする。
「お庭にはこの何倍も咲いてるんですよ。ちょっとお裾分けをお願いしたら、こんなにくれました」
鈴音が花瓶を持ってきて生けるのをまもりはじっと見ている。
どこか懐かしむような視線に、貰ってきてよかったと鈴音は笑顔になった。
貴族であるなら、外に出なくても別に問題はないのだけれど、彼女の青い目を青い空の下で見る事が出来たら、きっと綺麗だろうと思うのだ。
晴れやかに笑って青空の下に立つ彼女は、どれほどに綺麗だろう。
その隣に主も並び立てばいいのに。
夜にばかり側にいないで、日の下で互いを見つめればいいのに。
「・・・金色だし、お日様にきらきらして綺麗だろうになあ」
それを聞いたまもりが首を傾げる。視線を感じて鈴音は慌てて口を塞いだ。
そのままぶんぶんと首を振る。御法度だった。これは言ってはいけなかった!
女中頭がいたら激しく叱責されただろう。
けれどじっと自分を見つめて言葉を求めるまもりに、あーとかうーとか唸って鈴音は誤魔化そうとしたが、結局何も浮かばなくておずおずと口を開いた。
「ご主人様の」
そこで鈴音は言葉を切った。まもりの様子を伺うために。
けれど彼女は取り乱したり青ざめたり、そういった反応はなかった。
ただ、言葉の続きを待っている。
「髪の毛が金色なので、お日様の下にいらしたら綺麗だろうなあ、って・・・」
それにまもりは小さく頷いた。そうね、と言いたげに。
予想外に穏やかに細められた目に、鈴音は思い切って尋ねてみる。
「あの、まもり様はご主人様のことが、その、お嫌い・・・ですか・・・?」
今も妻として傍らにある彼女なのだが、どうにも他に尋ねようがない。
奥様と呼ばれるのも嫌う程に彼を厭うのなら今のような顔はしないだろうし。
けれど他の使用人が口を揃えて主の事を言うなと言うのなら、それなりの理由がありそうだし。
まもりは首を振らなかった。縦にも横にも。
その代わり、小首を傾げた。いっそ可愛らしいような仕草で。
・・・とても寂しそうに。
その夜、主の元へ日課のコーヒーを運んだ先で。
「今日はお庭のお花を飾りました。お気に召したようで懐かしそうに御覧になってましたよ」
そう告げるとだろうな、と彼は小さく笑った。
やはり寂しそうに。
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同人歴は読み専門も含めると二桁は楽勝。
よろしくお願いいたします。
【裏について】
閉鎖しました。
現在のところ復活の予定はありません。