三月、桜の姿はまだ遠い。
「卒業式には桜ってつきものじゃない?」
この日に様々な思いを受けてひそひそと散る桜吹雪を想像していたのに。
「それはもうちょっと南の話だな」
まだ花の気配が遠い桜の木を見上げてまもりが問う。答えるのは、隣に立つのは、短く刈り込んだ頭のムサシ。
部活を引退した後は、特に威嚇も必要なかろうとさっさとモヒカン部分を切り落としたのだ。
最初に髪型変更を指示した悪魔も別に何も言わなかった。
それももう、一年近く前の話。
「ヒル魔くん、今日来るかなあ」
独り言のようなまもりの声。
三年生になって、ヒル魔は部活に顔を出すもクリスマスボウルという自分の夢が終わったからか、あまり熱心ではなかった。
というのは比較する対象が去年のデスマーチだから、今年の一年生は『これでですか?!』と絶叫していたのだけれど。
ざりざりという短い髪の頭を一撫でし、ムサシはおもむろにポケットを探った。
「姉崎」
「え」
ひょい、と渡されたのは黒革の手帳。
表紙にはおどろおどろしく『脅迫手帳』。
「これって・・・!」
「こないだ会ったときに失敬した」
「しっ・・・!」
さらりと言われた言葉にまもりは返答できない。
「見てみろ」
「え、嫌! 人の脅迫ネタなんて見ちゃ悪いわ」
慌ててムサシに戻そうとするが、彼は笑っている。年相応の笑顔で、楽しそうに。
「姉崎」
頭一つ小柄な女を見下ろすムサシの眼は優しい。
「あいつは生粋の夢追い人でな。それで不器用で照れ屋で、甘え下手だ」
「そんな表現できる怖い者知らず、ムサシくんだけよ」
「そうか? 俺だけじゃない、栗田も知ってるし、デビルバッツの連中も薄々気づいてる」
だから当然お前も。
そう言われて、今までを振り返る。
尊大で傲慢で悪魔でアメフトバカ。
けれど懐に飛び込めば、思いの外面倒見が良く優しい人だった。
「だから、あいつはわざわざ俺にこれを持たせた」
まもりの手にあった手帳にはいくつも付箋がついていたけれど、ムサシの太い指がざっと弾いたところは全て白紙。
「え? 偽物!?」
でも表紙は今まで散々見たことがある手帳。表紙だけ取り替えるタイプでもなく、ヨレ具合も本物にしか見えない。
「あいつは脅迫ネタをわざわざ持ち歩かない。あれは全部」
とん、と頭に指をあてる。
「あいつのココに入ってて、手帳は自分に何があってもネタが形に残るぞという脅しだった」
「そんな・・・」
「だからこれは本物だ」
「じゃあ、これを取りにくるわけないじゃない!」
頭に入ってるなら、わざわざこれを取りに来るなんて無駄なことをするわけがない。
「あいつは意味のないことはしない」
再びムサシが指で弾いて開いたのは、『糞マネ』と書かれた付箋が貼られた、真ん中ほどのページ。
「お前宛だ」
そこには見慣れた字で『屋上』と一言書かれていた。
屋上に続く階段を駆け上がり、古びた鉄のドアを開ける。
真っ先に眼に入るのは、春先のけぶる青空。これに桜の花びらが混じるのはもう少し先だ。
「手帳」
いつものシルエットが先にそう言った。
「挨拶も、何もなし、で、それ?!」
ずっと走ってきたから息が切れた。
いつもの調子。いつもの声。
でもそれが堪えようもないほど愛おしく見えて、笑ってしまう。
「どーした。手帳が白紙でそんなに嬉しかったか」
息を整え、一気に言葉を吐き出す。
「いいえ。ヒル魔くんが生粋の夢追い人で不器用で照れ屋で甘え下手だって再認識できて嬉しくて」
その表現に眉間に盛大な皺が寄ったけど、それすら照れ隠しに見えてムサシくんはやっぱりヒル魔くんの親友ね、と思った。
「今度はどの夢を追うの?」
「知りたいか?」
「私が理解できる夢ならいいんだけど」
その言葉にヒル魔くんはにやりと笑った。
「××大学」
「それ、私が行く大学じゃない」
私が希望した大学は、ここよりももっと西。
遠く離れた場所で一人生活するつもり。知り合いのいない土地だけど、自分の夢を追うためにがんばる。
夢を追うのはとてもいいことだと、目の前の悪魔に教えられたから。
悔しいから本人には言わないけど。
そう考えていたのを見透かしたように、彼は笑みを深めた。
「テメーはもうちょっと情報収集能力を上げた方がいいな。お前が借りた物件、周辺治安が物騒だぞ」
「え、そ、そうなの?」
近くにコンビニもあるし駅からも大して遠くないし大学も散歩がてら行くには丁度いいと思ったんだけど。
「だからな」
ちゃり、と彼の手で光るのは鍵。
「こっちにしろ」
「えぇ?!」
それをひょいと渡されたと同時に持っていた手帳を回収された。
「駅前でオートロック、下に交番。繁華街とは駅を挟んで反対側、商店街が近い」
言いながら彼が見せるチラシには見覚えがあった。入りたかったけどもう空きがないと言われた人気物件だ。
「荷物もう送っちゃってるのに」
「移させた」
あまりの対応に呆れてしまうが、恐ろしいことにこんなことに慣れているのもまた事実。
だけど、だからこそ気になった。
「どうしてここまでしてくれるの?」
そう。彼は無駄なことはしない。ムサシも言っていた。
「それは俺のためだからだ」
す、と目の前に下がった鍵は私が受け取ったのと同じ形。
色が鍵にらしからぬ真っ黒なのがらしいけど。
―――――じゃなくて!
「ど、どういうこと!? 合い鍵作っちゃったの?! ちょっと女の子の一人暮らしになんていう不安要素を!!」
「誰が一人暮らしだって?」
「私、だけど」
「二人暮らしの間違いだ」
「ええ―――――!?」
にやり、と悪魔が笑う。
「奇遇なことに俺も春からその大学だ。せっかくなんでテメーも一緒に住まわせてやろうという優しい俺様の配慮に感謝しろYA――HA――!!」
「いやいやいや! それ違うから配慮とかじゃないから!!」
「安心しろ、テメーの親どもは了承済みだ」
「えええ―――――――!?!?」
どうしたのお父さんお母さん、私に何の試練ですか。
というかいつの間にこんな悪魔と契約したんですか。
私に何か落ち度でもありましたか。
様々なことが脳裏を過ぎったけれど、すっと近寄った悪魔が差し出した手に全てを止められた。
「来い、姉崎」
私がその手を振り払うなんて全然思っていない悪魔の笑顔。
悔しい。
悔しいけど、その手を振り払うことができないことは確かだった。
「隣で次の夢を見せてやる」
一瞬、私は目を閉じる。
認めるわ。
私はヒル魔くんが好きで好きで。
卒業式なんていうシチュエーションなら逃げも隠れもせず告白できるかなって思ってたの。
だから今日この日に学校に来てくれるかとても不安だった。
うまくいくなんて全然思ってなかったから、せめて気持ちだけでも伝えておきたいって思ってたの。
再び開いた視界には変わりなく手を差し伸べるヒル魔くんの顔。
「・・・こんな結末が待ってるなんて、ほんと人生は予想外ね」
「あぁ? これが結末だなんてシケてんな」
取った手はあたたかかった。
卒業式がそろそろ始まるというアナウンスが入る。
私たちは手を取り合って階段へと向かった。
全身が震える程の歓喜を覚える事なんて、人生でそうそう無いことだと思っていたけれど。
この悪魔といるかぎり、そうでもないみたい。
ああ。
なんて。
―――――しあわせ。
***
卒業式のシーズンですね。キッドネタと両方出来たので記念すべき20題ラストは二本にしました。
私はヒル魔さんクリスマスボウル後は海外進出せず日本の大学に進学しアメフトはやらない派なので、まもりと同じ所に行かせてみました。学部は決めてません。だってあの人理系か文系かすらわからない・・・。あの風貌で人に使われる様を想像できないので在学中から会社でも作って存分に金儲けして欲しいもんです。
そういえばどうやってヒル魔さんはまもりちゃんの両親を説得したのでしょうか。気になります。
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同人歴は読み専門も含めると二桁は楽勝。
よろしくお願いいたします。
【裏について】
閉鎖しました。
現在のところ復活の予定はありません。