旧『そ れ は 突 然 の 嵐 の よ う に』です。
ア イ シ ー ル ド 21 ヒ ル ま も ss 中心。
いらっしゃらないとは思いますが、禁無断転載でお願いします。
+ + + + + + + + + +
まもりはヒル魔によって連れてこられた場所に眉を寄せた。
岩肌をくりぬいただけの、住まいとも呼べないそこ。
それでも雑多な人数が生活しているのだけは声や音で判る。
まもりが通されたのは、その中の小さな一部屋だ。
窓もない、小さな蝋燭ひとつだけの、粗末な部屋。
まもりをそこに置き去りにして、ヒル魔は立ち去った。
木製の扉には閂、水は水差しに入った分だけ。
これでは、まるで。
「牢屋みたいじゃない・・・」
呟いても、回答はない。
花も水もないとは言っていた。
けれど、想像以上の粗悪な生活を強いられる予感に、まもりは身を竦ませる。
ただただ立ちつくす彼女を慮る人は、誰もいなかった。
干し草に布を被せただけの簡素な寝所に座り、この先のことを思案していたまもりは、開く扉に気づいた。
「あ」
ヒル魔か、と思って見つめたが、そこにいたのは線の細い女だった。
てっきり盗賊の一味の誰かがやってくるのだと思ったまもりは、瞬きする。
その顔を見た彼女は、笑みを浮かべて布をまもりに差し出した。
「これは?」
彼女は針と糸を取り出し、まもりに渡した物と同じ布を見せる。
そしておもむろに、それに針を通し始めた。
滑らかに動く手が生み出したのは、刺繍。
「これを、やるの?」
尋ねても、彼女は小首を傾げるだけ。
「口が利けないの?」
まもりがしきりに尋ねても、彼女は首を傾げ、ついには声を発したが。
『―――――――』
「え?」
その言葉は、まもりには聞き取れなかった。
目を見開くまもりに困ったように身振り手振りで何かを伝えていたが、彼女はそそくさと扉から出て行く。
ほどなく、戸惑うまもりの前に今度は小柄な少年がやってきた。
「刺繍する。作る。売る」
単語を並べる彼は、身振り手振りを交え、これをまもりにやって欲しいのだと示した。
刺繍なら手慰みにいくつもしていたし、得意だ。
何もないで漠然と明日のことを不安に思うより、やることがある方が断然いい。
道具を受け取り、まもりは笑みを浮かべる。
「これを作ればいいのね。判ったわ」
それに少年と女は顔を見合わせ、どこか気の毒そうな顔をしてまもりに会釈し、その場を立ち去った。
それから数日、まもりは黙々と針を動かした。
三度の食事は運ばれてくるし、水も配られるので餓えることも乾くこともない。
それに、片言ではあるが言葉が通じる少年が色々と気を遣ってくれているようだと感じられた。
最初こそ閉ざされていた扉もいつの間にか開放された。
けれどその他の人々との交流は一切ない。
少年が案内してくれる先は、様々な空間が広がっており、ここが組織として成り立っていることを知らしめる。
「台所」
単語と共に見せられた場所には調理場が設置されていて、火を使っているのも判る。
こんな地下では息が詰まると思われたが、いくつも見た縦穴が空気孔となっているのだと見回るうちに理解した。
灼熱の大地に根ざす人々の暮らしの知恵なのだろう。
長くどこまでも深く暗く通じる通路は、最初こそ薄気味悪く感じたが、砂漠の上で感じる寒暖の差がなく、快適に生活出来るよう考えられている。
「良くできてるのね」
感心して声を上げても、答える人はいない。
少年も首を傾げるだけだ。
それにしても、とまもりは思う。
彼は初日以降、まもりの元を訪れることはなかった。
他に知り合いのいない現在、彼一人がまもりの拠り所といってもいいのに。
寂しい、と思ってまもりはぎゅっと手を胸の前で握った。
そして、まもりはただ刺繍をし、少年を伴って時折屋内を彷徨い、一人眠るという生活を続けていた。
一体何が彼の目的か判らない。
あの場所からまもりを浚い、永遠を誓わせ、惚れ薬まで使ったのに。
言い知れない不安に襲われながら、まもりは現実から逃げるように刺繍を続けた。
細かな刺繍は、味気なかった布を彩る見事な装飾となっている。
タペストリーとしても使用出来そうなほどのそれを作り上げると、タイミングを見計らってあの少年と女が現れてそれを検分する。
少年はそれを見て頷いた。
「もらう」
「それ、どうするの?」
彼らの意図が読めず、まもりは尋ねるが、少年は小首を傾げるだけ。
言葉が通じないもどかしさに、どうにか意思疎通を図ろうとするが、少年達は必死になるまもりを置いてさっさと出て行ってしまった。
一体何が目的だろうか。
まもりは不安そうに扉を見つめたが、それが開かれることも、ヒル魔が現れることもなかった。
夜半。
まもりはふと、目を覚ました。
一体何で目を覚ましたのか、と視線を彷徨わせて、それが通路内に響く声なのだと気づく。
扉から外を覗こうとして、触れた扉が開くことに気づく。
押し開いてみたが、誰も廊下にはいないようで、まもりがその部屋から抜け出しても気づく者はいない。
この数日、散歩がてら色々歩いたおかげか、どこに何があるかは大まかに把握している。
まもりは案内もなく声の方へと進んでいく。
ちらちらと明かりも見えるようになった。声はどこかの部屋から漏れ聞こえているようだ。
「それにしても―――」
聞き慣れた言葉に、まもりはぴたりと足を止めた。
まもりが使う言葉。ここしばらく耳にしていなかったせいか、酷く懐かしい。
「悪党とはお前のような男を言うのだな」
いや、それよりもこの声に、聞き覚えがある。
これは。
「テメェほどじゃねぇ」
ケケケ、と高笑いするのはヒル魔だ。
「いやいや。君の計画は見事だったよ」
まもりはがくがくと膝が震えるのを止められなかった。
あの、声は。
まもりの輿入れを、誰よりも熱心に王に働きかけていた、実の父の声。
なぜ父がここに?
「まもりはどうしてる?」
「アイツなら部屋に放り込んである」
「そうか」
「心配か?」
にやにやと笑み声で、ヒル魔はまもりの父に問いかける。
「未来の王妃になる予定だった娘が」
「戯れ事を。君も知っているだろう」
まもりがいることに気づいていない男二人は、酒でも飲みながら会話しているのだろうか。
「今の王はもう余命幾ばくもない上、次代はまだ幼い。実権を握るのは現王妃」
「そのとおり。それなら今更輿入れなぞするだけ無駄だ」
あれほどに熱心に東奔西走していた父の思わぬ本音に、まもりは口を覆った。
王へ輿入れし、世継ぎを産めば安泰だ、と言われ続けていたのに。
「そのための誘拐だ」
誘拐、という言葉にまもりは目を見開く。
まもりは殺されたと装ったと言っていなかったか?
それは事実とは違うのだろうか?
では、まもりが生きて誘拐されることの利点は?
「あとはまもりの首が揃えばいい」
びくり、とまもりは身体を震わせる。
「娘は誘拐されてしまった! 取り戻すためには身代金が必要だ! だが、現金はない!」
上機嫌に歌うような父の声。
「そうだ、幸い輿入れの品々がある! これを売って金に換え、身代金として収めたが・・・娘は変わり果てた姿に! 金も戻っては来ない! ああ、なんてかわいそうな父親なんだろう! 世間は悲しみ、誰も金のことなど口にしない!」
感嘆符ばかりが耳に付く父の声は、酷く耳障りだった。
「だが、実は?」
笑みを含んだヒル魔の声が合いの手を入れる。
「品々は全て贋作、本物はすべてこちらに。誰も疑いはしない、本物は全部こちらにあるのだから!」
まもりは家に並んだあの豪奢な品々を思い浮かべる。
繊細な彫り物を施された黄金と翡翠の髪飾り。青磁の焼き物。絹で出来た衣服。
どれもこれも贅沢の限りを尽くされた物だった。
まもりの誘拐という事件を隠れ蓑に莫大な金銭が闇に蠢く。
「親ならどんだけ金を積んででも、子は助けたがるもんだがナァ」
「貴族の娘など、嫁入り先がなければただの金食い虫だ!」
震える脚を叱咤してその場から離れる。
けれど声は容赦なくまもりを追いかけてくる。
「それにしても、あの刺繍は良かった」
「アイツが生きてる何よりの証拠だからナァ」
まもりは耳を塞ぎ、闇雲に道を歩く。
次第に足は速まり、何かから逃れるように必死に走り続ける。
けれど出口どころか、複雑な道に入り込んでしまう。
まもりがたどり着いたのは饐えたような臭いが充満する、奥まった暗い場所。
『―――・・・』
ここに連れてこられてから耳にした、聞き取れない言語。
その声が泣いているような気がして、まもりは周囲を見渡す。
そして声の在処にたどり着いたまもりは、再び硬直する。
扉の隙間から漏れ聞こえる声、濡れた音、僅かな光。
蠢く影は複数の男と、女。
あの泣くような声は、女の嬌声だったのだ。
よろめき後ずさるまもりは、足に何か当たったことに気づいた。
それは小瓶。
いくつも散らばるそれが割れたところから立ち上る匂いに、まもりは眉を寄せた。
これは、あの時。
ヒル魔が惚れ薬だと囁いて飲ませたものと、同じ。
ふと人の気配を感じて、まもりは咄嗟に柱の陰に隠れ、様子を伺う。
見たことのない屈強な男があの線の細い女を引きずり、こちらに向かって来るではないか。
驚き目を見開くまもりの前で、男はどこからともなく取り出した小瓶の中身を嫌がる女に強引に飲ませる。
小瓶は放り投げ、そうして虚ろな目をした女を連れて手近な小部屋へと入っていく。
しばらくして聞こえてきたのは、嬌声。
まもりは理解し、そして戦慄した。
ここは、盗賊の男たちが性欲を処理するために女を連れ込む場所。
あの薬は、惚れ薬などではなく、単に性感を増すためだけの薬。
女の正気を失わせ、ただ貪るためだけの。
まもりは吐き気を催したが、この場にいては危ないと考え、どうにか堪えてよろめきながら道を歩く。
逃げ出さなければ。
複雑に絡まった回廊は迷路のようで、出口はどこまでいけば見つかるか判らない。
途中で耐えきれずうずくまり、腹の中の物を吐き出してしまう。
冷や汗で濡れる頬を撫でる風に、まもりは思い出した。
ここには縦穴があり、それは空気孔として縦に真っ直ぐ伸びていることを。
上まで進めば、きっと外に出られるはず。
まもりは僅かな空気の流れを汗で濡れた皮膚で感じ取り、ほとんど闇の中を手探りで進む。
そうしてほどなく縦穴を見つけ出した。
明かりを手に見下ろしても、全く底の知れなかったあの場所。あの時同時に上も見上げたが空は遠かった。
今はまもり自身、どのくらいの深さにいて、どれだけ登ればいいのか見当も付かない。
けれど。
ここにいれば殺されるだけでは済まず、先ほどの女のように薬を飲まされ、地獄のような苦しみを味合わされ続けるかもしれない。
それくらいならどれだけ確率が低くても逃げ出す方を選ぶべきだ。
そこで死んでしまうのであっても、あんな風に扱われるよりずっとずっとマシだ。
まもりは底なし沼のような闇を孕んだ縦穴の壁をゆっくりと登り始めた。
どれくらい登っただろうか。
指が痺れ、手足の感覚もなくなってきた。
それでも振り返れば殺されてしまう、という恐怖がまもりを押し上げる。
そしてとうとう、まもりは荒涼とした大地に顔を出した。
砂漠にほど近いところにある岩棚。
その一際高い位置にまもりは立ちつくす。
空は紺色の衣の裾を朝日に白く閃かせている。
夜明けだ。
赤茶けた砂は風紋を刻み、徐々に明るくなる空と星の下で闇から赤へと変貌していく。
まもりはぐるりと周囲を見渡した。
岩棚の周囲には建物はおろか、人影もなにもない。
酷く静かだった。
冷たい空気はあと数時間で灼熱に変化する。
日差しが注げば、まもりの柔らかい皮膚はあっという間に火ぶくれをおこし、腫れ上がるだろう。
せめて岩陰に隠れなければ、と思ったが、どうせ結果は同じことだ。
まもりはその場にへたり込む。
疲労は限界だった。
指先に痛みを感じて視線を向ければ、指先が裂けて血が溢れていた。
流れる血はまもりの白い肌に紋様を刻む。
まもりはその手ごと身体を大地に投げ出し、ゆっくりと瞳を閉じる。
あの時目が覚めなければ。
ヒル魔は何喰わぬ顔で、まもりの首をはねに来ただろうか。
永遠を誓わせるという陳腐な言葉で、赤子の手を捻るように容易く騙された小娘を嘲笑い、また薬でも飲ませて、男達の慰み者にでもしたのだろうか。
彼は命だけはと言っていた、あり得る話だ。
まもりは嘲笑を浮かべる。
あの場所でも、ここまで逃げても、結果は同じ、死ぬことだけ。
所詮貴族の箱入り娘でしかなかった己が藻掻く様がひどく、滑稽だった。
日が昇る。
熱を孕み始めた風がまもりの髪を嬲っても、まもりはもう身動き一つ取れない。
泥濘に沈み込むように眠りに引き込まれ、まもりは意識を手放した。
砂嵐が起きる。
次第に熱を帯びた風が、全てを焼き尽くそうとその牙を剥いた。
<続>
岩肌をくりぬいただけの、住まいとも呼べないそこ。
それでも雑多な人数が生活しているのだけは声や音で判る。
まもりが通されたのは、その中の小さな一部屋だ。
窓もない、小さな蝋燭ひとつだけの、粗末な部屋。
まもりをそこに置き去りにして、ヒル魔は立ち去った。
木製の扉には閂、水は水差しに入った分だけ。
これでは、まるで。
「牢屋みたいじゃない・・・」
呟いても、回答はない。
花も水もないとは言っていた。
けれど、想像以上の粗悪な生活を強いられる予感に、まもりは身を竦ませる。
ただただ立ちつくす彼女を慮る人は、誰もいなかった。
干し草に布を被せただけの簡素な寝所に座り、この先のことを思案していたまもりは、開く扉に気づいた。
「あ」
ヒル魔か、と思って見つめたが、そこにいたのは線の細い女だった。
てっきり盗賊の一味の誰かがやってくるのだと思ったまもりは、瞬きする。
その顔を見た彼女は、笑みを浮かべて布をまもりに差し出した。
「これは?」
彼女は針と糸を取り出し、まもりに渡した物と同じ布を見せる。
そしておもむろに、それに針を通し始めた。
滑らかに動く手が生み出したのは、刺繍。
「これを、やるの?」
尋ねても、彼女は小首を傾げるだけ。
「口が利けないの?」
まもりがしきりに尋ねても、彼女は首を傾げ、ついには声を発したが。
『―――――――』
「え?」
その言葉は、まもりには聞き取れなかった。
目を見開くまもりに困ったように身振り手振りで何かを伝えていたが、彼女はそそくさと扉から出て行く。
ほどなく、戸惑うまもりの前に今度は小柄な少年がやってきた。
「刺繍する。作る。売る」
単語を並べる彼は、身振り手振りを交え、これをまもりにやって欲しいのだと示した。
刺繍なら手慰みにいくつもしていたし、得意だ。
何もないで漠然と明日のことを不安に思うより、やることがある方が断然いい。
道具を受け取り、まもりは笑みを浮かべる。
「これを作ればいいのね。判ったわ」
それに少年と女は顔を見合わせ、どこか気の毒そうな顔をしてまもりに会釈し、その場を立ち去った。
それから数日、まもりは黙々と針を動かした。
三度の食事は運ばれてくるし、水も配られるので餓えることも乾くこともない。
それに、片言ではあるが言葉が通じる少年が色々と気を遣ってくれているようだと感じられた。
最初こそ閉ざされていた扉もいつの間にか開放された。
けれどその他の人々との交流は一切ない。
少年が案内してくれる先は、様々な空間が広がっており、ここが組織として成り立っていることを知らしめる。
「台所」
単語と共に見せられた場所には調理場が設置されていて、火を使っているのも判る。
こんな地下では息が詰まると思われたが、いくつも見た縦穴が空気孔となっているのだと見回るうちに理解した。
灼熱の大地に根ざす人々の暮らしの知恵なのだろう。
長くどこまでも深く暗く通じる通路は、最初こそ薄気味悪く感じたが、砂漠の上で感じる寒暖の差がなく、快適に生活出来るよう考えられている。
「良くできてるのね」
感心して声を上げても、答える人はいない。
少年も首を傾げるだけだ。
それにしても、とまもりは思う。
彼は初日以降、まもりの元を訪れることはなかった。
他に知り合いのいない現在、彼一人がまもりの拠り所といってもいいのに。
寂しい、と思ってまもりはぎゅっと手を胸の前で握った。
そして、まもりはただ刺繍をし、少年を伴って時折屋内を彷徨い、一人眠るという生活を続けていた。
一体何が彼の目的か判らない。
あの場所からまもりを浚い、永遠を誓わせ、惚れ薬まで使ったのに。
言い知れない不安に襲われながら、まもりは現実から逃げるように刺繍を続けた。
細かな刺繍は、味気なかった布を彩る見事な装飾となっている。
タペストリーとしても使用出来そうなほどのそれを作り上げると、タイミングを見計らってあの少年と女が現れてそれを検分する。
少年はそれを見て頷いた。
「もらう」
「それ、どうするの?」
彼らの意図が読めず、まもりは尋ねるが、少年は小首を傾げるだけ。
言葉が通じないもどかしさに、どうにか意思疎通を図ろうとするが、少年達は必死になるまもりを置いてさっさと出て行ってしまった。
一体何が目的だろうか。
まもりは不安そうに扉を見つめたが、それが開かれることも、ヒル魔が現れることもなかった。
夜半。
まもりはふと、目を覚ました。
一体何で目を覚ましたのか、と視線を彷徨わせて、それが通路内に響く声なのだと気づく。
扉から外を覗こうとして、触れた扉が開くことに気づく。
押し開いてみたが、誰も廊下にはいないようで、まもりがその部屋から抜け出しても気づく者はいない。
この数日、散歩がてら色々歩いたおかげか、どこに何があるかは大まかに把握している。
まもりは案内もなく声の方へと進んでいく。
ちらちらと明かりも見えるようになった。声はどこかの部屋から漏れ聞こえているようだ。
「それにしても―――」
聞き慣れた言葉に、まもりはぴたりと足を止めた。
まもりが使う言葉。ここしばらく耳にしていなかったせいか、酷く懐かしい。
「悪党とはお前のような男を言うのだな」
いや、それよりもこの声に、聞き覚えがある。
これは。
「テメェほどじゃねぇ」
ケケケ、と高笑いするのはヒル魔だ。
「いやいや。君の計画は見事だったよ」
まもりはがくがくと膝が震えるのを止められなかった。
あの、声は。
まもりの輿入れを、誰よりも熱心に王に働きかけていた、実の父の声。
なぜ父がここに?
「まもりはどうしてる?」
「アイツなら部屋に放り込んである」
「そうか」
「心配か?」
にやにやと笑み声で、ヒル魔はまもりの父に問いかける。
「未来の王妃になる予定だった娘が」
「戯れ事を。君も知っているだろう」
まもりがいることに気づいていない男二人は、酒でも飲みながら会話しているのだろうか。
「今の王はもう余命幾ばくもない上、次代はまだ幼い。実権を握るのは現王妃」
「そのとおり。それなら今更輿入れなぞするだけ無駄だ」
あれほどに熱心に東奔西走していた父の思わぬ本音に、まもりは口を覆った。
王へ輿入れし、世継ぎを産めば安泰だ、と言われ続けていたのに。
「そのための誘拐だ」
誘拐、という言葉にまもりは目を見開く。
まもりは殺されたと装ったと言っていなかったか?
それは事実とは違うのだろうか?
では、まもりが生きて誘拐されることの利点は?
「あとはまもりの首が揃えばいい」
びくり、とまもりは身体を震わせる。
「娘は誘拐されてしまった! 取り戻すためには身代金が必要だ! だが、現金はない!」
上機嫌に歌うような父の声。
「そうだ、幸い輿入れの品々がある! これを売って金に換え、身代金として収めたが・・・娘は変わり果てた姿に! 金も戻っては来ない! ああ、なんてかわいそうな父親なんだろう! 世間は悲しみ、誰も金のことなど口にしない!」
感嘆符ばかりが耳に付く父の声は、酷く耳障りだった。
「だが、実は?」
笑みを含んだヒル魔の声が合いの手を入れる。
「品々は全て贋作、本物はすべてこちらに。誰も疑いはしない、本物は全部こちらにあるのだから!」
まもりは家に並んだあの豪奢な品々を思い浮かべる。
繊細な彫り物を施された黄金と翡翠の髪飾り。青磁の焼き物。絹で出来た衣服。
どれもこれも贅沢の限りを尽くされた物だった。
まもりの誘拐という事件を隠れ蓑に莫大な金銭が闇に蠢く。
「親ならどんだけ金を積んででも、子は助けたがるもんだがナァ」
「貴族の娘など、嫁入り先がなければただの金食い虫だ!」
震える脚を叱咤してその場から離れる。
けれど声は容赦なくまもりを追いかけてくる。
「それにしても、あの刺繍は良かった」
「アイツが生きてる何よりの証拠だからナァ」
まもりは耳を塞ぎ、闇雲に道を歩く。
次第に足は速まり、何かから逃れるように必死に走り続ける。
けれど出口どころか、複雑な道に入り込んでしまう。
まもりがたどり着いたのは饐えたような臭いが充満する、奥まった暗い場所。
『―――・・・』
ここに連れてこられてから耳にした、聞き取れない言語。
その声が泣いているような気がして、まもりは周囲を見渡す。
そして声の在処にたどり着いたまもりは、再び硬直する。
扉の隙間から漏れ聞こえる声、濡れた音、僅かな光。
蠢く影は複数の男と、女。
あの泣くような声は、女の嬌声だったのだ。
よろめき後ずさるまもりは、足に何か当たったことに気づいた。
それは小瓶。
いくつも散らばるそれが割れたところから立ち上る匂いに、まもりは眉を寄せた。
これは、あの時。
ヒル魔が惚れ薬だと囁いて飲ませたものと、同じ。
ふと人の気配を感じて、まもりは咄嗟に柱の陰に隠れ、様子を伺う。
見たことのない屈強な男があの線の細い女を引きずり、こちらに向かって来るではないか。
驚き目を見開くまもりの前で、男はどこからともなく取り出した小瓶の中身を嫌がる女に強引に飲ませる。
小瓶は放り投げ、そうして虚ろな目をした女を連れて手近な小部屋へと入っていく。
しばらくして聞こえてきたのは、嬌声。
まもりは理解し、そして戦慄した。
ここは、盗賊の男たちが性欲を処理するために女を連れ込む場所。
あの薬は、惚れ薬などではなく、単に性感を増すためだけの薬。
女の正気を失わせ、ただ貪るためだけの。
まもりは吐き気を催したが、この場にいては危ないと考え、どうにか堪えてよろめきながら道を歩く。
逃げ出さなければ。
複雑に絡まった回廊は迷路のようで、出口はどこまでいけば見つかるか判らない。
途中で耐えきれずうずくまり、腹の中の物を吐き出してしまう。
冷や汗で濡れる頬を撫でる風に、まもりは思い出した。
ここには縦穴があり、それは空気孔として縦に真っ直ぐ伸びていることを。
上まで進めば、きっと外に出られるはず。
まもりは僅かな空気の流れを汗で濡れた皮膚で感じ取り、ほとんど闇の中を手探りで進む。
そうしてほどなく縦穴を見つけ出した。
明かりを手に見下ろしても、全く底の知れなかったあの場所。あの時同時に上も見上げたが空は遠かった。
今はまもり自身、どのくらいの深さにいて、どれだけ登ればいいのか見当も付かない。
けれど。
ここにいれば殺されるだけでは済まず、先ほどの女のように薬を飲まされ、地獄のような苦しみを味合わされ続けるかもしれない。
それくらいならどれだけ確率が低くても逃げ出す方を選ぶべきだ。
そこで死んでしまうのであっても、あんな風に扱われるよりずっとずっとマシだ。
まもりは底なし沼のような闇を孕んだ縦穴の壁をゆっくりと登り始めた。
どれくらい登っただろうか。
指が痺れ、手足の感覚もなくなってきた。
それでも振り返れば殺されてしまう、という恐怖がまもりを押し上げる。
そしてとうとう、まもりは荒涼とした大地に顔を出した。
砂漠にほど近いところにある岩棚。
その一際高い位置にまもりは立ちつくす。
空は紺色の衣の裾を朝日に白く閃かせている。
夜明けだ。
赤茶けた砂は風紋を刻み、徐々に明るくなる空と星の下で闇から赤へと変貌していく。
まもりはぐるりと周囲を見渡した。
岩棚の周囲には建物はおろか、人影もなにもない。
酷く静かだった。
冷たい空気はあと数時間で灼熱に変化する。
日差しが注げば、まもりの柔らかい皮膚はあっという間に火ぶくれをおこし、腫れ上がるだろう。
せめて岩陰に隠れなければ、と思ったが、どうせ結果は同じことだ。
まもりはその場にへたり込む。
疲労は限界だった。
指先に痛みを感じて視線を向ければ、指先が裂けて血が溢れていた。
流れる血はまもりの白い肌に紋様を刻む。
まもりはその手ごと身体を大地に投げ出し、ゆっくりと瞳を閉じる。
あの時目が覚めなければ。
ヒル魔は何喰わぬ顔で、まもりの首をはねに来ただろうか。
永遠を誓わせるという陳腐な言葉で、赤子の手を捻るように容易く騙された小娘を嘲笑い、また薬でも飲ませて、男達の慰み者にでもしたのだろうか。
彼は命だけはと言っていた、あり得る話だ。
まもりは嘲笑を浮かべる。
あの場所でも、ここまで逃げても、結果は同じ、死ぬことだけ。
所詮貴族の箱入り娘でしかなかった己が藻掻く様がひどく、滑稽だった。
日が昇る。
熱を孕み始めた風がまもりの髪を嬲っても、まもりはもう身動き一つ取れない。
泥濘に沈み込むように眠りに引き込まれ、まもりは意識を手放した。
砂嵐が起きる。
次第に熱を帯びた風が、全てを焼き尽くそうとその牙を剥いた。
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旅行と読書
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ついうっかりブログ作成。
同人歴は読み専門も含めると二桁は楽勝。
よろしくお願いいたします。
【裏について】
閉鎖しました。
現在のところ復活の予定はありません。
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