旧『そ れ は 突 然 の 嵐 の よ う に』です。
ア イ シ ー ル ド 21 ヒ ル ま も ss 中心。
いらっしゃらないとは思いますが、禁無断転載でお願いします。
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部活を終えたヒル魔と子供達は三人で連れ立って帰宅していた。
「珍しいよね、帰りに父さんが一緒なの」
「明日からテスト休みだろ。残ってやる程の作業ねぇんだよ」
やはりというか、伝統的にというか、勉強はさっぱり、という面々が多いアメフト部。
しかし今は赤点を取って部活に参加出来なくなると、悪魔コーチの恐ろしい制裁が発生するのでこれから全員必死に勉強するはずだ。
ちなみにアヤと妖介はさして勉強にやっきになることはない。
ヒル魔譲りの瞬間記憶能力とまもり譲りのこつこつやる気質がよく出ているのだ。
二人は相変わらず首位と二位をキープし続けていた。
「・・・? 変」
「ア?」
「どうしたの、アヤ」
一歩前を歩いていたアヤがぴたりと足を止めた。
その視線の先には見慣れた我が家があった。けれど、どこかが違う。
いつもなら誰かがいて明かりがついているはずの室内に明かりはない。
ましてや今、まもりは身重なのだ。
出産予定はまだ先だが、彼女に何かがあったのだろうか。
眉を寄せて足を速めるヒル魔の後に続きながら、子供達は顔を見合わせた。
ドアノブに触れると、鍵が掛かっていない事はすぐ知れた。
やや乱暴に室内に入るヒル魔に続く。
室内に人がいなくなって大分経った後らしく、室内の空気は冷たく沈んでいた。
「母さん?」
「護?」
声を掛けながら方々を探し回る子供達を横目に、テーブルに置かれていた紙に気づいたヒル魔は、そこに近寄った。
と、そこに鈍い音。
「!?」
ぱ、と顔を上げると窓ガラスにヒビが入っている。
防弾ガラスの窓に、だ。
しかもしゃがみ込んだヒル魔の頭を狙った位置に、正確に。
「どうしたの?!」
音に驚き、慌てて出てきた二人にヒル魔は舌打ちして伏せろ、と指で指示する。
アヤと妖介は即座に床に伏せた。
じっと防弾ガラス越しに見つめる先には人の『色』は見えない。
銃弾が弾かれたのを見てすぐ撤退したのだろう。
素人の仕業ではなかった。
手元に残った紙には、まもりを誘拐した事をほのめかした文章があった。「・・・チッ」
ヒル魔は子供達に立ち上がるように指示したが、変わらず手話を使った。
書斎へと足を向けると、そこの棚から機械を一式取り出す。
アヤは自分の自室からパソコンを持ってリビングへと向かい、妖介は二人がどこにもいないことを確認するとキッチンへと向かった。
機械を操作すると途端にノイズが発生する。その音を拾い上げ、ヒル魔は一つのコンセントに触れた。
(あった?)
(これ一つじゃねぇな。探してくる)
判りやすく設置された盗聴器。
これをカモフラージュにして他にも仕込まれている可能性がある。
屋内をくまなく調べ回るヒル魔を見ながらアヤはパソコンを立ち上げ、細工がされていないかを確認した上で室内の防犯システムの履歴を開く。
扉や窓がこじ開けられた形跡はなく、室内外に設置された防犯カメラの画像を見ても人影はない。
けれど、まもりが出て行った形跡もないのだ。
これは素人の仕業ではない、と気づいて眉を寄せるアヤの前にコーヒーが出される。
こういったデジタルな作業になったらあまり手伝えない妖介は、腹ごしらえの方で手腕を振るうつもりだ。
設置された盗聴器を全て発見したらしいヒル魔は二人を眺めながら口を開いた。
「ったく、どこ行ったんだあの糞嫁は」
指では全く違う会話をしながら。
(盗聴器はリビングに二つ、寝室その他の室内にそれぞれ一つずつ。トイレにまで設置されてた)
「そうね。遅い」
(防犯カメラの映像・防犯システムについては全てのデータが異常なし。素人の仕業じゃない)
「俺が夕飯作るよ。何食べたい?」
(護もどこにもいないけど、電話かけてみる?)
「キムチチゲ。激辛な」
(メールにしろ。通話出来るか判らねぇからな。ハーピーはいるか?)
「私も」
(護は今日特に用事を入れてなかったから、共にいなくなった可能性が高い)
「あんまり辛いと俺が食えないんだけど・・・」
(ハーピーもいないから、母さんと護は別じゃないかな。今メールするよ)
「辛くないキムチチゲがあるか」
(こいつらの所在地洗え)
ヒル魔はばさりと書類をアヤに渡す。
「自分の分だけ別に取り分ければいい」
(了解。心当たりはこれだけ?)
(ああ)
ぱらぱらと書類を捲ったアヤは、即座に護が構築している脅迫データベースに接続する。
脅迫手帳なんて判りやすく小さいアナログさを振りかざしつつ、実際には大小問わない膨大な脅迫ネタを、まもりを除いた一家総出で補完しているのだ。
複雑な手順を経て開いたデータを見たアヤは、次々とリストにチェックを入れていく。
その様子を見ていたヒル魔に妖介が声を掛ける。
「あ、父さん。味見してくれる?」
差し出された小皿と、携帯。
両方を受け取ったヒル魔は液晶を覗き込んで口角を上げた。
護からのメールだ。
そして小皿に口を付け、甘いと一言呟いてからヒル魔は自室へと武器を取りに戻った。
「・・・これ、甘い?」
「甘い」
同じく味見したアヤにもダメ出しされた妖介は、それを自分でもちょっと舐めたのだが、あまりの辛さに身震いした。
まもりは質素な室内で一人眠っていた。
ふと意識が戻って、寝ぼけ眼を擦りながら周囲を見渡す。
「ここ・・・」
まるで病院のような、味気ない室内。
窓一つなく、薄暗い印象だ。
扉はベッドの足側に一つ。覗き窓がついている、簡素な鉄のもの。
こんなところで一人寝ている理由が全くわからず、まもりは困惑の表情を浮かべる。
『起きたか』
聞こえて来た声に、咄嗟に瞼を閉じ、眠ったふりをする。
誰かが室内を伺う気配。
『いいえ、まだ起きてないようです』
『薬の量が多かったんじゃないか」
『適量だと思ったのですが・・・』
『まあいい。寝てようが起きてようが、要は彼女がここにいさえすればいい』
『はっ』
聞こえてくるのは英語だった。
物騒な会話にまもりは青くなる。
どうやら自分は浚われたらしい。
薬、という言葉が飛び交っている。
記憶を取り戻そうとしたが、ひどく曖昧だ。
『悪魔とて早々ここは知れまい。奴への襲撃はどうなった?』
それにまもりの心臓が跳ね上がる。
ヒル魔が撃たれたのだろうか。
『狙撃手を向かわせましたが、仕留め損なったようです』
『ッチ! 使えないな!』
『窓が特殊な防弾ガラスだったようで・・・』
『まあいい。とりあえず宣戦布告にはなっただろう。次の作戦を練るぞ』
『はっ』
声が遠ざかる。
まもりはじっと息を潜めて先ほどまでの会話を反芻する。
男は二人だった。
英語だったが、声や会話の内容からアメリカで知り合った身近な人間ではなさそうだ。
おそらくヒル魔に恨みを持った誰かが仕組んだのだろうとは思うが、意図が読めない。
彼を亡き者にしようとする連中は数多いため、それこそ日頃からまもり自身も気を付けるように言われていたが、まさか浚われるとは。
きっと怒ってるんだろうなあ、と内心嘆息する。
本当なら怖がったり泣いたり絶望したりしたいところなのだが、何分腹に子供がいるのだ。
無駄に取り乱して危険にさらしたくない。
母は強いっていうけど本当よね、とまで考えてしまう。
伊達に二十年近くヒル魔の妻なんてやってないのだ。
不安以上にヒル魔がなんとかしてくれる、という気持ちの方が強い。
なんだかんだで彼には全幅の信頼を置いているのだ。
助けは来る。絶対。
まもりは自分の手足の確認をする。
特に拘束されているわけでもなければ、怪我をしている様子もない。
子供にも影響はないようだ。
まもりはそっと腹を撫でる。
おそらくただ眠らされていただけだろう。
ここで騒いで人を呼び寄せる必要は今のところないようだ。
迎えが来たとき、自力で動けるようにしておこう。
それを心に決め、まもりはじっと助けを待つ事に専念した。
ハーピーがきょろりと首を動かした。
キー、と小さく鳴いたのを聞きつけて人影が近寄る。
「こっち」
更に護が小声で呼べば、人影は藪の中だというのに滑らかに彼に近づいた。
ヒル魔を筆頭にして、アヤと妖介。
三人とも動きやすい格好をしている。
けれどよく見ればそれは特殊機動隊もかくや、という装備だった。
中でもアヤは長い髪を結い上げ、頭の上でお団子にして、戦闘準備万端。
「お前が外にいて助かったな」
「ん。ハーピーが気づいてくれたしね」
帰宅していた護の前に、この時間ならエサを狩っているはずのハーピーが舞い降りたのだ。
その様子がただならないことに気づいて、護は自宅のカメラからの情報をその場で開き、まさにまもりが浚われようとしているところを目撃したのだ。
外に設置されていたカメラには車のナンバーと車種がはっきりと映っていた。
清掃業者を装ったそれに周囲は不審を抱かないのだろう。その後カメラに別の業者を装った男たちが近寄ったのを見て、データを改ざんしようとしている事に気づいた護はハーピーにカメラを付けて車を追跡させ、その後を追って来たのだ。
そしてたどり着いたのは、十数キロ離れた山中の廃屋だった。
コンクリートで出来た二階建ての建物。
古びた外見は、興味本位で近寄る者など寄せ付けない雰囲気だ。
地元でも近寄る者はいないのだろう。窓ガラスは割れ、庭と周囲の林との境目が知れない。
けれどその側にはおざなりに隠された車が数台置かれていた。
廃屋にはそぐわない、機動性の高いそれ。
護一人では突入出来ず、さりとて自宅に連絡を入れると室内に仕掛けを施したであろう相手方に気取られるかもしれなかったため、異変に気づいた他の家族からの連絡を待っていたのだった。
「バイクに乗れないのが辛かったよ」
「そうだね。ここまでチャリかあ・・・お疲れさん」
タクシーでは相手に見つかってしまうので使えず、かといって適当な移動手段は他にない。
仕方なく護は自前のMTBで追いかけたのだ。
ハーピーの追跡がなければ絶対に振り切られただろう。
助かったよ、と護はハーピーを優しく撫でた。
「姉崎はあそこか?」
廃屋には僅かながら人の気配がある。
アヤがパソコンの画面を見ながら告げる。
「多分地下室だ。発信器が利かない」
まもりが常に身につけている発信器も盗聴器も反応しない。
となれば電波が届かないところである地下だろう。
「中で異変は?」
「特にはなさそう。ハーピーも騒がないから」
人には聞こえない音であっても、隼であるハーピーであれば察知できるだろう。
「何時間くらい経った?」
「拉致からは五時間、ここに来てからは一時間」
「そろそろ起きるころだ」
「起きても動いてないんだよ、きっと。母さんは危害が加えられてないなら自分からは動かないでしょ」
まもり自身は特に何か武術を習っているわけでも、銃を持っているわけでもない。
けれど日々悪魔と言われるヒル魔の傍らにあって、危機回避能力は自然と備わっているのだ。
「地下室なら、地上部分はどうなっても平気だな」
にやあ、と悪魔の笑みを浮かべた父親に、子供達は肩をすくめる。
その顔は本気で怒ったときのそれだから。
アヤは自らの口にガムを放り込んだ。
「何人だ?」
「僕が見たのは六人。でも他に指導者と、作業員が何人かいそうだった」
「じゃあ十人くらいかな」
廃屋の間取りまでは手に入らなかったが、日が落ちる前に周囲から目測で護が立てた予測を元に全員の役割が決まる。
「緊急事態だ」
護の手にもデザートイーグルが落とされる。
「いいの?」
普段銃を持たせないヒル魔が出した結論に、妖介が眉を寄せる。
「暗闇じゃハーピーも飛べないだろ。護は車でハーピーと待機だ。相手に見つかったら撃て」
子供達はアメリカにいるときに銃の取り扱いを学習済みなので、腕前は問題ない。
とはいえ、人を撃たせるのは極力避けたいところだ。
「ただし、殺すなよ」
「了解」
手慣れた様子で確認する護は短く応じた。
相手がどんな様子で来るかはわからないが、おそらくここが知れている事はまだ知らないはずだ。
室内には相手方のカメラはなかったので、まもりを探しに行くような会話を続けて出てきたのだ。
きっと心当たりを虱潰しにしているだろう、という相手方の裏を掻くために。
入口側にアヤと妖介が突入体制に入る。
そうして、ランチャーを構えたヒル魔の手から、容赦ない砲撃が開始された。
腹の底に響くような轟音に、まもりはびくりと肩を震わせた。
『な、なんだ!?』
『地上で何が・・・』
ばたばたと何人かが掛けていく。
助けが来た。
まもりはぎゅっと自らを抱きしめ、ベッドの上で腹を守るように小さくなっていた。
妖介とアヤが轟音に驚き扉を開けた男達を殴り、昏倒させる。
「な・・・」
「ぐわっ!!」
まず二人。
二階の窓際に出てきた連中をヒル魔の銃が容赦なく襲う。
それを横目に、二人は室内に入り込む。
地下に続く階段を探す二人の前に現れた屈強な男達が銃を構えるが。
「遅い!」
「うあっ!」
スパァン! と音を立てて妖介の掌底が相手を吹き飛ばした。
アヤはその背後にいたもう一人にナイフを投げて手の銃を弾き飛ばす。
「っ!」
「せいっ!」
そこにすかさず妖介の蹴りが炸裂した。
あっという間に四人を倒し、起きてもすぐ追えないように手早く縛って、更に奥へ。
他の部屋からは外にいるヒル魔への銃撃がされている。
下の異変には気づかないだろう。
入り口から最も離れた対角線上に向かうと、そこには縦に真っ直ぐ掘られた地下道があった。
はしごで垂直に下りる形だ。飛び降りるにしても少々高い。
これでは下にたどり着く前に見つかり、銃撃されてしまう。
素早く視線を交わした後、妖介が思い切り下に向かって叫ぶ。
「姉崎、どこだ!?」
『なっ?!』
『ヒル魔?!』
『なんでここが知れたんだ!?』
バタバタと走ってくる足音。下からこちらを見上げてくる気配。
その『色』を見た妖介が人数を告げる。
「三人」
「よし」
アヤが手榴弾のピンを抜くと下に投げ落とした。
一瞬の後、ガァン、と派手な音と光が炸裂する。
コンカッション。
ただ音と光だけを発する威嚇用手榴弾だ。
「今だ」
するりとそこに降り立ち、妖介は目を回している男達の武器を全て奪って縛り上げた。
アヤはその間に更に奥へと進んだ。他に敵の気配はない。
いくつか扉が並んでいる。このどこかにまもりがいるに違いない。
「お母さん!」
「アヤ?!」
聞こえてきた声に、アヤはその近くの扉を覗き込んだが、そこにまもりの姿はない。
「どこ?!」
「判らないわ、アヤ、どこにいるの?」
戸惑う声は小さく、けれど近い。
両隣の部屋にもいない。
アヤはばっと後ろを振り返った。
そこにはただの壁があるだけだが、いかにも急造な感じがする。
上の建築と比較しても、材質が新しすぎる。
じっとそこを見ていたアヤが再び声を掛けた。
「お母さん、聞こえたら返事して」
「アヤ、ここよ」
それはハッキリ壁の向こうから聞こえた。
元からあった場所を無理に仕切ったのだろう。
声が響くのなら厚さもさほどではないはずだ。
「妖介、ここだ」
「了解」
いくつか爆弾は持ってきたけれど、狭い場所では使えない。
けれど急ごしらえなら鉄筋が入っているとは考えられないから、多分妖介の足で蹴破れるだろう。
「お母さん、壁から離れて、下がって」
「うん」
ふー、と息を整えて構えた妖介が勢いよく足を振り上げる。
「せいっ!!」
派手な音を立てて、壁が砕けた。
ぽっかりと大きな穴が空く。
「よっし!」
「お母さん!」
アヤが室内に入ると、そこにはベッドの上で小さく丸くなっていたまもりの姿があった。
まさか扉と逆の壁が破れるとは思わなかったらしく、目を瞬かせている。
「無事!?」
「平気よ。薬使われたみたいだけど、怪我したり気持ち悪くなったりしてないわ」
母親の冷静な自己分析にほっと息をつきながら妖介がまもりを抱き上げる。
「ヒル魔くんは?」
「父さんなら上で花火大会」
「盛大に開催中」
「・・・・・・そう」
冗談めかした二人の言葉に、大惨事なんだろうなあ、というまもりの渋い顔。
それに子供達はまあね、と軽く応じた。
直接ヒル魔が突入する側に回らなかったのは、銃器を子供達に使わせないのともう一つ、ヒル魔が人を殺さないようにするためだ。
いかに銃の腕前がいいとはいえ、今の彼が間近に敵を見たら容赦なく皆殺しにしかねなかった。
そして、その現場をまもりが見てしまったら、事態は今より確実に悪化する。
ヒル魔自身も冷静に見せかけて頭に血が上っているのを自覚していたため、突入を子供達に任せて外側で銃撃戦を展開したのだ。
本当は一番に迎えに来たかっただろう。
そして早くそんなヒル魔の待つ外に出ようとした三人に、低い声が掛けられる。
『そこまでだ』
同時に、がちゃり、と銃が突きつけられた。
『全く、こんなにすぐここが割れるとは・・・』
苦々しく呟く男に三人とも見覚えはない。
おそらくヒル魔が個人的に恨みを買った人物だろう。
壮年の男は、外見的には整っていたが、いかにも下衆な雰囲気を漂わせていた。
地上の騒ぎに関わらない様子から、きっとこの男が首謀者だと推測出来る。
『お前らには人質になってもらおうか』
『そりゃテメェが安全に逃げるためか? それともあの悪魔を殺すためか?』
妖介の問いかけに男はにやりと笑う。
『それは勿論、両方だよ』
銃を鳴らして三人を見るその目がアヤに止まった。
『ほう・・・悪魔の娘か。予想外にいい女じゃないか』
美しい青い瞳、整った顔立ち、そして何より特徴的な尖った耳。
つんとつれないような雰囲気がよりそそるらしく、アヤを呼ぶ。
『お前はこっちに来い』
『嫌』
しかしアヤは素っ気なく吐き捨てた。
男は眉を上げてせせら笑った。
『自分の立場が判らないのか』
再び銃を見せつけるように動かす男は、じろりと背後の妖介とまもりを見る。
『私はここでお前の家族を殺す事も出来るのだよ』
それにアヤは、弾かれたように男を見た。
『それは困るわ。私はどうなってもいいから、二人は家に帰して』
縋るような声音。二人を庇うようにアヤは二人の前に立つ。
「アヤ?!」
「え、ちょっと!?」
それに眉を寄せた二人に、アヤは後ろ手にこっそりと指示を出した。
(私がガムを吐き出したらしゃがみ込め)
意図を察した妖介はまもりを庇うように抱きしめる。
『いい心がけだ。こっちに来い。・・・ああ、上着は脱げ』
『判ったわ』
アヤは素直に上着を脱ぐ。その下は黒のTシャツ一枚だ。
すらりとした身体の中で、豊満な胸に男の視線が向く。
その下衆な視線にまもりがきつく眉を寄せ、妖介にすがりついた。
静かに近寄るアヤににやにやと笑みを浮かべるのを、妖介は苦々しい気持ちで見ているしかない。
まもりを抱えていなければ即座に蹴り飛ばしてやるのだが、相手は銃を持っているし下手に刺激できない。
この男が実践で戦っているかどうかは判らないので、銃の腕前が怖いところだ。
腕の悪い素人が銃を撃つと、想定外のところに被弾する恐れがある。
ましてや狭い室内、跳弾の危険性もある。
そして累が及ぶのは自分のみならず、アヤと腕の中の母、さらには母の腹の中の子。
ここでの妖介の役目は、まもりを守るということだ。
アヤは男の数歩手前で立ち止まり、束ねていた髪を見せつけるようにするりと解いた。
さらさらと流れる金髪と、すらりとした肢体と、射抜くような美しい青い瞳。
まるで伝説の妖精のような、その姿。
思わず見惚れた男の前に、アヤが噛んでいたガムを吐き出す。
『行儀がなってないね』
外見にそぐわない仕草に眉を寄せた男の前で、アヤは思い切り口角をつり上げた。
それは父親そっくりの、酷薄な笑みだった。
妖介はまもりを庇ってしゃがみ込む。
『なにッ、――――!?』
いきなり足下から発生した爆発音に怯んだ男の手を掴み、アヤは男を投げ飛ばした。
その喉を足で踏みつけ、押さえ込む。
『ぐぅっ!』
瞬間、緩んだ手から奪い取った銃を脳天に突きつけた。
滑らかな動きは全て一瞬だった。
完全なる形勢逆転。
男は信じられない、という顔でアヤを見上げる。
『テメェも自分で言っただろ。俺の事を【悪魔の娘】ってナァ』
柄の悪い口調でアヤがにたりと笑う。
先ほど吐き出したガムは、実は爆薬だったのだ。
信管はマイクロチップ、そして起爆スイッチは奥歯に仕込んでおいたもの。
爆発の威力は大したことはないのだが、いざというときのために用意しておいたのだ。
『テメェが握られてる弱みがどんなもんだか俺には興味がねぇが―――』
撃鉄が上がる。
青ざめる男を前に、アヤはトリガーに指をかけた。
見た目が美しいだけに、悪魔のように歪んだ顔はより一層恐ろしさを増す。
『人のモンに手ェ出した報いはきっちり受けてもらうぜ』
『た、助けて・・・』
急所を踏みつけられ、動けない男は必死にアヤを見上げるが。
見下ろす青い瞳は絶対零度の怜悧な光で男を射抜いた。
『悪魔に命乞いは無意味だ』
慈悲など欠片もないその声。
『くたばれ』
そして響く、銃声。
泡を吹いて失神した男の傍らに、弾痕。
「本当に殺したかと思っちゃったよ」
「くだらない」
鼓膜くらいは破れただろうが、命に別状はない。
伸びた男を見下し、アヤはふんと鼻を鳴らして硝煙の上がる銃を放り投げた。
伊達に悪魔の娘ではない。
人を恐怖に陥れる手腕は見事なものだった。
「よ、よかった・・・。アヤに何かあったらどうしようかと思っちゃった」
青ざめたまもりに、アヤはぴんと片眉を上げる。
「その台詞、そっくりお母さんに返す」
「え?」
「父さんのこと、後でよろしくね」
妖介の補足に、まもりは苦笑した。
きっと誰よりもここに駆けつけたかっただろう、ヒル魔。
心配している。早く、帰らないと。
いつの間にか地上は静かになっていた。きっとヒル魔が制圧したのだろう。
「おい、無事か」
はしごを登っていると、上からヒル魔の声がした。
まもりは笑みを浮かべて応じる。
「大丈夫よ。母子共に健康です」
「そりゃ何よりデスネ。さっさと上がってこい」
軽口を叩きつつ、あからさまにほっとした様子のヒル魔にアヤと妖介は視線を交わして、静かに笑みを浮かべた。
そうして首謀者が地下に伸びていると聞いたヒル魔は、一人地下へと降りていった。
彼が後始末をどうつけるのまでは興味がないので、一家は揃って車の中で待つ事になった。
車に向かうまでに見かけた敵は、全員かなりえげつない格好で横たわっていた。
おそらく脅迫データベースはまた新たな情報を得るようだ。
まもりはこめかみを押さえ、子供達は苦笑するばかり。
「お母さん!」
車に到着すると、護が笑顔で母を迎えた。
「無事でよかった!」
「護も来てたの!?」
てっきり家で待っているのだと思っていたらしいまもりに、妖介が囁く。
「護が自転車でここまで追ってきてくれたんだよ」
「それで居場所がわかった」
アヤも補足する。
「自転車で!?」
ぐるりと首を巡らせるが、見覚えのない山中までは相当距離があっただろう。
「・・・ありがとう、護」
目を丸くしたまもりは、護を抱きしめ、その頭を優しく撫でる。
それに日向の猫よろしく護は瞳を細めた。
四人揃って車に乗り込む。
「それにしても、あの人達って何が目的だったのかしら」
「見たい?」
「え?」
アヤが自宅から持ってきた自らのパソコンを開く。
そこには男達の様々な悪事の数々が記されていた。
「そりゃ、これだけやってれば後ろ暗いだろうね。母さんは見ない方がいいよ、胎教に悪い」
妖介が呆れてぼやく。護がアヤに尋ねた。
「そのネタを取り返すためだったの?」
それにアヤは首を振る。
彼の脅迫ネタは悪事についてではない。
「脅迫ネタはコレだ」
「へ?! これ?!」
「ええー?!」
アヤが示したそれを見て、妖介は吹き出してしまう。
護も覗き込み、思わず笑ってしまった。
「え、何? 何なの? 見せて!」
普段なら人の弱みなんて、と眉を寄せるはずのまもり。
けれど今回は巻き込まれた当事者という事もあって見たいようだ。
くるりと向けられたディスプレイには、到底美しいとは言えない女装姿のあの男がいた。
「女装が趣味で、でも周囲には隠してたみたい」
「・・・これが原因で、私が誘拐されたの?」
「そうね」
「・・・くっだらないわ・・・」
まもりは信じられない、と天を仰ぐ。
こんなネタを撮られて脅迫される男にも。
そのネタを保管しておくヒル魔にも。
そして、そんなことで巻き込まれた事実にも。
「まあまあ。用事が済んだら家でご飯食べよう。お腹空いたでしょ」
妖介が取りなすように笑う。
ご飯なら作ってきたから、という言葉にまもりは笑みを浮かべる。
「何作ったの?」
「キムチチゲ。大丈夫、ちゃんと辛くないから」
途端に護が不満そうに眉を寄せる。
「辛くないキムチチゲなんて!」
「わかってるって。護たちの分は激辛にしておいたよ」
「あれで?」
味見をしたアヤが眉を上げる。
「あの後にいつものトウガラシ足しておいたよ」
そこで妖介がふと思い出したかのように呟いた。
「そういえばトウガラシ、出掛ける前に父さんが一瓶持って行ってたけど・・・」
ヒル魔家愛用の激辛トウガラシ(粉末)。
一般人には辛すぎて使いづらいそれを、激辛好きな家族のために、日頃から常備しているのだけれど。
あれは一体どうしたんだろう、という妖介の呟きの直後。
『ぎゃああああ!! 痛い、熱い、辛いー!!』
どこからともなく聞こえてきたあの男の絶叫。
トウガラシの使用先を察した四人は、この後のキムチチゲがなんとなく美味しく頂けないのではないか、という微妙な気分のまま顔を合わせ。
そして無言のまま、ひたすらヒル魔を待ったのだった。
***
「壁をぶち破る妖介」と「敵の喉を踏みつけて脅しを掛けるアヤ」が書きたくて作った話でした。
突如戦争が起こってもこの家族は絶対に生き残れそうな気がします。
「珍しいよね、帰りに父さんが一緒なの」
「明日からテスト休みだろ。残ってやる程の作業ねぇんだよ」
やはりというか、伝統的にというか、勉強はさっぱり、という面々が多いアメフト部。
しかし今は赤点を取って部活に参加出来なくなると、悪魔コーチの恐ろしい制裁が発生するのでこれから全員必死に勉強するはずだ。
ちなみにアヤと妖介はさして勉強にやっきになることはない。
ヒル魔譲りの瞬間記憶能力とまもり譲りのこつこつやる気質がよく出ているのだ。
二人は相変わらず首位と二位をキープし続けていた。
「・・・? 変」
「ア?」
「どうしたの、アヤ」
一歩前を歩いていたアヤがぴたりと足を止めた。
その視線の先には見慣れた我が家があった。けれど、どこかが違う。
いつもなら誰かがいて明かりがついているはずの室内に明かりはない。
ましてや今、まもりは身重なのだ。
出産予定はまだ先だが、彼女に何かがあったのだろうか。
眉を寄せて足を速めるヒル魔の後に続きながら、子供達は顔を見合わせた。
ドアノブに触れると、鍵が掛かっていない事はすぐ知れた。
やや乱暴に室内に入るヒル魔に続く。
室内に人がいなくなって大分経った後らしく、室内の空気は冷たく沈んでいた。
「母さん?」
「護?」
声を掛けながら方々を探し回る子供達を横目に、テーブルに置かれていた紙に気づいたヒル魔は、そこに近寄った。
と、そこに鈍い音。
「!?」
ぱ、と顔を上げると窓ガラスにヒビが入っている。
防弾ガラスの窓に、だ。
しかもしゃがみ込んだヒル魔の頭を狙った位置に、正確に。
「どうしたの?!」
音に驚き、慌てて出てきた二人にヒル魔は舌打ちして伏せろ、と指で指示する。
アヤと妖介は即座に床に伏せた。
じっと防弾ガラス越しに見つめる先には人の『色』は見えない。
銃弾が弾かれたのを見てすぐ撤退したのだろう。
素人の仕業ではなかった。
手元に残った紙には、まもりを誘拐した事をほのめかした文章があった。「・・・チッ」
ヒル魔は子供達に立ち上がるように指示したが、変わらず手話を使った。
書斎へと足を向けると、そこの棚から機械を一式取り出す。
アヤは自分の自室からパソコンを持ってリビングへと向かい、妖介は二人がどこにもいないことを確認するとキッチンへと向かった。
機械を操作すると途端にノイズが発生する。その音を拾い上げ、ヒル魔は一つのコンセントに触れた。
(あった?)
(これ一つじゃねぇな。探してくる)
判りやすく設置された盗聴器。
これをカモフラージュにして他にも仕込まれている可能性がある。
屋内をくまなく調べ回るヒル魔を見ながらアヤはパソコンを立ち上げ、細工がされていないかを確認した上で室内の防犯システムの履歴を開く。
扉や窓がこじ開けられた形跡はなく、室内外に設置された防犯カメラの画像を見ても人影はない。
けれど、まもりが出て行った形跡もないのだ。
これは素人の仕業ではない、と気づいて眉を寄せるアヤの前にコーヒーが出される。
こういったデジタルな作業になったらあまり手伝えない妖介は、腹ごしらえの方で手腕を振るうつもりだ。
設置された盗聴器を全て発見したらしいヒル魔は二人を眺めながら口を開いた。
「ったく、どこ行ったんだあの糞嫁は」
指では全く違う会話をしながら。
(盗聴器はリビングに二つ、寝室その他の室内にそれぞれ一つずつ。トイレにまで設置されてた)
「そうね。遅い」
(防犯カメラの映像・防犯システムについては全てのデータが異常なし。素人の仕業じゃない)
「俺が夕飯作るよ。何食べたい?」
(護もどこにもいないけど、電話かけてみる?)
「キムチチゲ。激辛な」
(メールにしろ。通話出来るか判らねぇからな。ハーピーはいるか?)
「私も」
(護は今日特に用事を入れてなかったから、共にいなくなった可能性が高い)
「あんまり辛いと俺が食えないんだけど・・・」
(ハーピーもいないから、母さんと護は別じゃないかな。今メールするよ)
「辛くないキムチチゲがあるか」
(こいつらの所在地洗え)
ヒル魔はばさりと書類をアヤに渡す。
「自分の分だけ別に取り分ければいい」
(了解。心当たりはこれだけ?)
(ああ)
ぱらぱらと書類を捲ったアヤは、即座に護が構築している脅迫データベースに接続する。
脅迫手帳なんて判りやすく小さいアナログさを振りかざしつつ、実際には大小問わない膨大な脅迫ネタを、まもりを除いた一家総出で補完しているのだ。
複雑な手順を経て開いたデータを見たアヤは、次々とリストにチェックを入れていく。
その様子を見ていたヒル魔に妖介が声を掛ける。
「あ、父さん。味見してくれる?」
差し出された小皿と、携帯。
両方を受け取ったヒル魔は液晶を覗き込んで口角を上げた。
護からのメールだ。
そして小皿に口を付け、甘いと一言呟いてからヒル魔は自室へと武器を取りに戻った。
「・・・これ、甘い?」
「甘い」
同じく味見したアヤにもダメ出しされた妖介は、それを自分でもちょっと舐めたのだが、あまりの辛さに身震いした。
まもりは質素な室内で一人眠っていた。
ふと意識が戻って、寝ぼけ眼を擦りながら周囲を見渡す。
「ここ・・・」
まるで病院のような、味気ない室内。
窓一つなく、薄暗い印象だ。
扉はベッドの足側に一つ。覗き窓がついている、簡素な鉄のもの。
こんなところで一人寝ている理由が全くわからず、まもりは困惑の表情を浮かべる。
『起きたか』
聞こえて来た声に、咄嗟に瞼を閉じ、眠ったふりをする。
誰かが室内を伺う気配。
『いいえ、まだ起きてないようです』
『薬の量が多かったんじゃないか」
『適量だと思ったのですが・・・』
『まあいい。寝てようが起きてようが、要は彼女がここにいさえすればいい』
『はっ』
聞こえてくるのは英語だった。
物騒な会話にまもりは青くなる。
どうやら自分は浚われたらしい。
薬、という言葉が飛び交っている。
記憶を取り戻そうとしたが、ひどく曖昧だ。
『悪魔とて早々ここは知れまい。奴への襲撃はどうなった?』
それにまもりの心臓が跳ね上がる。
ヒル魔が撃たれたのだろうか。
『狙撃手を向かわせましたが、仕留め損なったようです』
『ッチ! 使えないな!』
『窓が特殊な防弾ガラスだったようで・・・』
『まあいい。とりあえず宣戦布告にはなっただろう。次の作戦を練るぞ』
『はっ』
声が遠ざかる。
まもりはじっと息を潜めて先ほどまでの会話を反芻する。
男は二人だった。
英語だったが、声や会話の内容からアメリカで知り合った身近な人間ではなさそうだ。
おそらくヒル魔に恨みを持った誰かが仕組んだのだろうとは思うが、意図が読めない。
彼を亡き者にしようとする連中は数多いため、それこそ日頃からまもり自身も気を付けるように言われていたが、まさか浚われるとは。
きっと怒ってるんだろうなあ、と内心嘆息する。
本当なら怖がったり泣いたり絶望したりしたいところなのだが、何分腹に子供がいるのだ。
無駄に取り乱して危険にさらしたくない。
母は強いっていうけど本当よね、とまで考えてしまう。
伊達に二十年近くヒル魔の妻なんてやってないのだ。
不安以上にヒル魔がなんとかしてくれる、という気持ちの方が強い。
なんだかんだで彼には全幅の信頼を置いているのだ。
助けは来る。絶対。
まもりは自分の手足の確認をする。
特に拘束されているわけでもなければ、怪我をしている様子もない。
子供にも影響はないようだ。
まもりはそっと腹を撫でる。
おそらくただ眠らされていただけだろう。
ここで騒いで人を呼び寄せる必要は今のところないようだ。
迎えが来たとき、自力で動けるようにしておこう。
それを心に決め、まもりはじっと助けを待つ事に専念した。
ハーピーがきょろりと首を動かした。
キー、と小さく鳴いたのを聞きつけて人影が近寄る。
「こっち」
更に護が小声で呼べば、人影は藪の中だというのに滑らかに彼に近づいた。
ヒル魔を筆頭にして、アヤと妖介。
三人とも動きやすい格好をしている。
けれどよく見ればそれは特殊機動隊もかくや、という装備だった。
中でもアヤは長い髪を結い上げ、頭の上でお団子にして、戦闘準備万端。
「お前が外にいて助かったな」
「ん。ハーピーが気づいてくれたしね」
帰宅していた護の前に、この時間ならエサを狩っているはずのハーピーが舞い降りたのだ。
その様子がただならないことに気づいて、護は自宅のカメラからの情報をその場で開き、まさにまもりが浚われようとしているところを目撃したのだ。
外に設置されていたカメラには車のナンバーと車種がはっきりと映っていた。
清掃業者を装ったそれに周囲は不審を抱かないのだろう。その後カメラに別の業者を装った男たちが近寄ったのを見て、データを改ざんしようとしている事に気づいた護はハーピーにカメラを付けて車を追跡させ、その後を追って来たのだ。
そしてたどり着いたのは、十数キロ離れた山中の廃屋だった。
コンクリートで出来た二階建ての建物。
古びた外見は、興味本位で近寄る者など寄せ付けない雰囲気だ。
地元でも近寄る者はいないのだろう。窓ガラスは割れ、庭と周囲の林との境目が知れない。
けれどその側にはおざなりに隠された車が数台置かれていた。
廃屋にはそぐわない、機動性の高いそれ。
護一人では突入出来ず、さりとて自宅に連絡を入れると室内に仕掛けを施したであろう相手方に気取られるかもしれなかったため、異変に気づいた他の家族からの連絡を待っていたのだった。
「バイクに乗れないのが辛かったよ」
「そうだね。ここまでチャリかあ・・・お疲れさん」
タクシーでは相手に見つかってしまうので使えず、かといって適当な移動手段は他にない。
仕方なく護は自前のMTBで追いかけたのだ。
ハーピーの追跡がなければ絶対に振り切られただろう。
助かったよ、と護はハーピーを優しく撫でた。
「姉崎はあそこか?」
廃屋には僅かながら人の気配がある。
アヤがパソコンの画面を見ながら告げる。
「多分地下室だ。発信器が利かない」
まもりが常に身につけている発信器も盗聴器も反応しない。
となれば電波が届かないところである地下だろう。
「中で異変は?」
「特にはなさそう。ハーピーも騒がないから」
人には聞こえない音であっても、隼であるハーピーであれば察知できるだろう。
「何時間くらい経った?」
「拉致からは五時間、ここに来てからは一時間」
「そろそろ起きるころだ」
「起きても動いてないんだよ、きっと。母さんは危害が加えられてないなら自分からは動かないでしょ」
まもり自身は特に何か武術を習っているわけでも、銃を持っているわけでもない。
けれど日々悪魔と言われるヒル魔の傍らにあって、危機回避能力は自然と備わっているのだ。
「地下室なら、地上部分はどうなっても平気だな」
にやあ、と悪魔の笑みを浮かべた父親に、子供達は肩をすくめる。
その顔は本気で怒ったときのそれだから。
アヤは自らの口にガムを放り込んだ。
「何人だ?」
「僕が見たのは六人。でも他に指導者と、作業員が何人かいそうだった」
「じゃあ十人くらいかな」
廃屋の間取りまでは手に入らなかったが、日が落ちる前に周囲から目測で護が立てた予測を元に全員の役割が決まる。
「緊急事態だ」
護の手にもデザートイーグルが落とされる。
「いいの?」
普段銃を持たせないヒル魔が出した結論に、妖介が眉を寄せる。
「暗闇じゃハーピーも飛べないだろ。護は車でハーピーと待機だ。相手に見つかったら撃て」
子供達はアメリカにいるときに銃の取り扱いを学習済みなので、腕前は問題ない。
とはいえ、人を撃たせるのは極力避けたいところだ。
「ただし、殺すなよ」
「了解」
手慣れた様子で確認する護は短く応じた。
相手がどんな様子で来るかはわからないが、おそらくここが知れている事はまだ知らないはずだ。
室内には相手方のカメラはなかったので、まもりを探しに行くような会話を続けて出てきたのだ。
きっと心当たりを虱潰しにしているだろう、という相手方の裏を掻くために。
入口側にアヤと妖介が突入体制に入る。
そうして、ランチャーを構えたヒル魔の手から、容赦ない砲撃が開始された。
腹の底に響くような轟音に、まもりはびくりと肩を震わせた。
『な、なんだ!?』
『地上で何が・・・』
ばたばたと何人かが掛けていく。
助けが来た。
まもりはぎゅっと自らを抱きしめ、ベッドの上で腹を守るように小さくなっていた。
妖介とアヤが轟音に驚き扉を開けた男達を殴り、昏倒させる。
「な・・・」
「ぐわっ!!」
まず二人。
二階の窓際に出てきた連中をヒル魔の銃が容赦なく襲う。
それを横目に、二人は室内に入り込む。
地下に続く階段を探す二人の前に現れた屈強な男達が銃を構えるが。
「遅い!」
「うあっ!」
スパァン! と音を立てて妖介の掌底が相手を吹き飛ばした。
アヤはその背後にいたもう一人にナイフを投げて手の銃を弾き飛ばす。
「っ!」
「せいっ!」
そこにすかさず妖介の蹴りが炸裂した。
あっという間に四人を倒し、起きてもすぐ追えないように手早く縛って、更に奥へ。
他の部屋からは外にいるヒル魔への銃撃がされている。
下の異変には気づかないだろう。
入り口から最も離れた対角線上に向かうと、そこには縦に真っ直ぐ掘られた地下道があった。
はしごで垂直に下りる形だ。飛び降りるにしても少々高い。
これでは下にたどり着く前に見つかり、銃撃されてしまう。
素早く視線を交わした後、妖介が思い切り下に向かって叫ぶ。
「姉崎、どこだ!?」
『なっ?!』
『ヒル魔?!』
『なんでここが知れたんだ!?』
バタバタと走ってくる足音。下からこちらを見上げてくる気配。
その『色』を見た妖介が人数を告げる。
「三人」
「よし」
アヤが手榴弾のピンを抜くと下に投げ落とした。
一瞬の後、ガァン、と派手な音と光が炸裂する。
コンカッション。
ただ音と光だけを発する威嚇用手榴弾だ。
「今だ」
するりとそこに降り立ち、妖介は目を回している男達の武器を全て奪って縛り上げた。
アヤはその間に更に奥へと進んだ。他に敵の気配はない。
いくつか扉が並んでいる。このどこかにまもりがいるに違いない。
「お母さん!」
「アヤ?!」
聞こえてきた声に、アヤはその近くの扉を覗き込んだが、そこにまもりの姿はない。
「どこ?!」
「判らないわ、アヤ、どこにいるの?」
戸惑う声は小さく、けれど近い。
両隣の部屋にもいない。
アヤはばっと後ろを振り返った。
そこにはただの壁があるだけだが、いかにも急造な感じがする。
上の建築と比較しても、材質が新しすぎる。
じっとそこを見ていたアヤが再び声を掛けた。
「お母さん、聞こえたら返事して」
「アヤ、ここよ」
それはハッキリ壁の向こうから聞こえた。
元からあった場所を無理に仕切ったのだろう。
声が響くのなら厚さもさほどではないはずだ。
「妖介、ここだ」
「了解」
いくつか爆弾は持ってきたけれど、狭い場所では使えない。
けれど急ごしらえなら鉄筋が入っているとは考えられないから、多分妖介の足で蹴破れるだろう。
「お母さん、壁から離れて、下がって」
「うん」
ふー、と息を整えて構えた妖介が勢いよく足を振り上げる。
「せいっ!!」
派手な音を立てて、壁が砕けた。
ぽっかりと大きな穴が空く。
「よっし!」
「お母さん!」
アヤが室内に入ると、そこにはベッドの上で小さく丸くなっていたまもりの姿があった。
まさか扉と逆の壁が破れるとは思わなかったらしく、目を瞬かせている。
「無事!?」
「平気よ。薬使われたみたいだけど、怪我したり気持ち悪くなったりしてないわ」
母親の冷静な自己分析にほっと息をつきながら妖介がまもりを抱き上げる。
「ヒル魔くんは?」
「父さんなら上で花火大会」
「盛大に開催中」
「・・・・・・そう」
冗談めかした二人の言葉に、大惨事なんだろうなあ、というまもりの渋い顔。
それに子供達はまあね、と軽く応じた。
直接ヒル魔が突入する側に回らなかったのは、銃器を子供達に使わせないのともう一つ、ヒル魔が人を殺さないようにするためだ。
いかに銃の腕前がいいとはいえ、今の彼が間近に敵を見たら容赦なく皆殺しにしかねなかった。
そして、その現場をまもりが見てしまったら、事態は今より確実に悪化する。
ヒル魔自身も冷静に見せかけて頭に血が上っているのを自覚していたため、突入を子供達に任せて外側で銃撃戦を展開したのだ。
本当は一番に迎えに来たかっただろう。
そして早くそんなヒル魔の待つ外に出ようとした三人に、低い声が掛けられる。
『そこまでだ』
同時に、がちゃり、と銃が突きつけられた。
『全く、こんなにすぐここが割れるとは・・・』
苦々しく呟く男に三人とも見覚えはない。
おそらくヒル魔が個人的に恨みを買った人物だろう。
壮年の男は、外見的には整っていたが、いかにも下衆な雰囲気を漂わせていた。
地上の騒ぎに関わらない様子から、きっとこの男が首謀者だと推測出来る。
『お前らには人質になってもらおうか』
『そりゃテメェが安全に逃げるためか? それともあの悪魔を殺すためか?』
妖介の問いかけに男はにやりと笑う。
『それは勿論、両方だよ』
銃を鳴らして三人を見るその目がアヤに止まった。
『ほう・・・悪魔の娘か。予想外にいい女じゃないか』
美しい青い瞳、整った顔立ち、そして何より特徴的な尖った耳。
つんとつれないような雰囲気がよりそそるらしく、アヤを呼ぶ。
『お前はこっちに来い』
『嫌』
しかしアヤは素っ気なく吐き捨てた。
男は眉を上げてせせら笑った。
『自分の立場が判らないのか』
再び銃を見せつけるように動かす男は、じろりと背後の妖介とまもりを見る。
『私はここでお前の家族を殺す事も出来るのだよ』
それにアヤは、弾かれたように男を見た。
『それは困るわ。私はどうなってもいいから、二人は家に帰して』
縋るような声音。二人を庇うようにアヤは二人の前に立つ。
「アヤ?!」
「え、ちょっと!?」
それに眉を寄せた二人に、アヤは後ろ手にこっそりと指示を出した。
(私がガムを吐き出したらしゃがみ込め)
意図を察した妖介はまもりを庇うように抱きしめる。
『いい心がけだ。こっちに来い。・・・ああ、上着は脱げ』
『判ったわ』
アヤは素直に上着を脱ぐ。その下は黒のTシャツ一枚だ。
すらりとした身体の中で、豊満な胸に男の視線が向く。
その下衆な視線にまもりがきつく眉を寄せ、妖介にすがりついた。
静かに近寄るアヤににやにやと笑みを浮かべるのを、妖介は苦々しい気持ちで見ているしかない。
まもりを抱えていなければ即座に蹴り飛ばしてやるのだが、相手は銃を持っているし下手に刺激できない。
この男が実践で戦っているかどうかは判らないので、銃の腕前が怖いところだ。
腕の悪い素人が銃を撃つと、想定外のところに被弾する恐れがある。
ましてや狭い室内、跳弾の危険性もある。
そして累が及ぶのは自分のみならず、アヤと腕の中の母、さらには母の腹の中の子。
ここでの妖介の役目は、まもりを守るということだ。
アヤは男の数歩手前で立ち止まり、束ねていた髪を見せつけるようにするりと解いた。
さらさらと流れる金髪と、すらりとした肢体と、射抜くような美しい青い瞳。
まるで伝説の妖精のような、その姿。
思わず見惚れた男の前に、アヤが噛んでいたガムを吐き出す。
『行儀がなってないね』
外見にそぐわない仕草に眉を寄せた男の前で、アヤは思い切り口角をつり上げた。
それは父親そっくりの、酷薄な笑みだった。
妖介はまもりを庇ってしゃがみ込む。
『なにッ、――――!?』
いきなり足下から発生した爆発音に怯んだ男の手を掴み、アヤは男を投げ飛ばした。
その喉を足で踏みつけ、押さえ込む。
『ぐぅっ!』
瞬間、緩んだ手から奪い取った銃を脳天に突きつけた。
滑らかな動きは全て一瞬だった。
完全なる形勢逆転。
男は信じられない、という顔でアヤを見上げる。
『テメェも自分で言っただろ。俺の事を【悪魔の娘】ってナァ』
柄の悪い口調でアヤがにたりと笑う。
先ほど吐き出したガムは、実は爆薬だったのだ。
信管はマイクロチップ、そして起爆スイッチは奥歯に仕込んでおいたもの。
爆発の威力は大したことはないのだが、いざというときのために用意しておいたのだ。
『テメェが握られてる弱みがどんなもんだか俺には興味がねぇが―――』
撃鉄が上がる。
青ざめる男を前に、アヤはトリガーに指をかけた。
見た目が美しいだけに、悪魔のように歪んだ顔はより一層恐ろしさを増す。
『人のモンに手ェ出した報いはきっちり受けてもらうぜ』
『た、助けて・・・』
急所を踏みつけられ、動けない男は必死にアヤを見上げるが。
見下ろす青い瞳は絶対零度の怜悧な光で男を射抜いた。
『悪魔に命乞いは無意味だ』
慈悲など欠片もないその声。
『くたばれ』
そして響く、銃声。
泡を吹いて失神した男の傍らに、弾痕。
「本当に殺したかと思っちゃったよ」
「くだらない」
鼓膜くらいは破れただろうが、命に別状はない。
伸びた男を見下し、アヤはふんと鼻を鳴らして硝煙の上がる銃を放り投げた。
伊達に悪魔の娘ではない。
人を恐怖に陥れる手腕は見事なものだった。
「よ、よかった・・・。アヤに何かあったらどうしようかと思っちゃった」
青ざめたまもりに、アヤはぴんと片眉を上げる。
「その台詞、そっくりお母さんに返す」
「え?」
「父さんのこと、後でよろしくね」
妖介の補足に、まもりは苦笑した。
きっと誰よりもここに駆けつけたかっただろう、ヒル魔。
心配している。早く、帰らないと。
いつの間にか地上は静かになっていた。きっとヒル魔が制圧したのだろう。
「おい、無事か」
はしごを登っていると、上からヒル魔の声がした。
まもりは笑みを浮かべて応じる。
「大丈夫よ。母子共に健康です」
「そりゃ何よりデスネ。さっさと上がってこい」
軽口を叩きつつ、あからさまにほっとした様子のヒル魔にアヤと妖介は視線を交わして、静かに笑みを浮かべた。
そうして首謀者が地下に伸びていると聞いたヒル魔は、一人地下へと降りていった。
彼が後始末をどうつけるのまでは興味がないので、一家は揃って車の中で待つ事になった。
車に向かうまでに見かけた敵は、全員かなりえげつない格好で横たわっていた。
おそらく脅迫データベースはまた新たな情報を得るようだ。
まもりはこめかみを押さえ、子供達は苦笑するばかり。
「お母さん!」
車に到着すると、護が笑顔で母を迎えた。
「無事でよかった!」
「護も来てたの!?」
てっきり家で待っているのだと思っていたらしいまもりに、妖介が囁く。
「護が自転車でここまで追ってきてくれたんだよ」
「それで居場所がわかった」
アヤも補足する。
「自転車で!?」
ぐるりと首を巡らせるが、見覚えのない山中までは相当距離があっただろう。
「・・・ありがとう、護」
目を丸くしたまもりは、護を抱きしめ、その頭を優しく撫でる。
それに日向の猫よろしく護は瞳を細めた。
四人揃って車に乗り込む。
「それにしても、あの人達って何が目的だったのかしら」
「見たい?」
「え?」
アヤが自宅から持ってきた自らのパソコンを開く。
そこには男達の様々な悪事の数々が記されていた。
「そりゃ、これだけやってれば後ろ暗いだろうね。母さんは見ない方がいいよ、胎教に悪い」
妖介が呆れてぼやく。護がアヤに尋ねた。
「そのネタを取り返すためだったの?」
それにアヤは首を振る。
彼の脅迫ネタは悪事についてではない。
「脅迫ネタはコレだ」
「へ?! これ?!」
「ええー?!」
アヤが示したそれを見て、妖介は吹き出してしまう。
護も覗き込み、思わず笑ってしまった。
「え、何? 何なの? 見せて!」
普段なら人の弱みなんて、と眉を寄せるはずのまもり。
けれど今回は巻き込まれた当事者という事もあって見たいようだ。
くるりと向けられたディスプレイには、到底美しいとは言えない女装姿のあの男がいた。
「女装が趣味で、でも周囲には隠してたみたい」
「・・・これが原因で、私が誘拐されたの?」
「そうね」
「・・・くっだらないわ・・・」
まもりは信じられない、と天を仰ぐ。
こんなネタを撮られて脅迫される男にも。
そのネタを保管しておくヒル魔にも。
そして、そんなことで巻き込まれた事実にも。
「まあまあ。用事が済んだら家でご飯食べよう。お腹空いたでしょ」
妖介が取りなすように笑う。
ご飯なら作ってきたから、という言葉にまもりは笑みを浮かべる。
「何作ったの?」
「キムチチゲ。大丈夫、ちゃんと辛くないから」
途端に護が不満そうに眉を寄せる。
「辛くないキムチチゲなんて!」
「わかってるって。護たちの分は激辛にしておいたよ」
「あれで?」
味見をしたアヤが眉を上げる。
「あの後にいつものトウガラシ足しておいたよ」
そこで妖介がふと思い出したかのように呟いた。
「そういえばトウガラシ、出掛ける前に父さんが一瓶持って行ってたけど・・・」
ヒル魔家愛用の激辛トウガラシ(粉末)。
一般人には辛すぎて使いづらいそれを、激辛好きな家族のために、日頃から常備しているのだけれど。
あれは一体どうしたんだろう、という妖介の呟きの直後。
『ぎゃああああ!! 痛い、熱い、辛いー!!』
どこからともなく聞こえてきたあの男の絶叫。
トウガラシの使用先を察した四人は、この後のキムチチゲがなんとなく美味しく頂けないのではないか、という微妙な気分のまま顔を合わせ。
そして無言のまま、ひたすらヒル魔を待ったのだった。
***
「壁をぶち破る妖介」と「敵の喉を踏みつけて脅しを掛けるアヤ」が書きたくて作った話でした。
突如戦争が起こってもこの家族は絶対に生き残れそうな気がします。
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