旧『そ れ は 突 然 の 嵐 の よ う に』です。
ア イ シ ー ル ド 21 ヒ ル ま も ss 中心。
いらっしゃらないとは思いますが、禁無断転載でお願いします。
+ + + + + + + + + +
ヒル魔が戯れに描いた赤い蝙蝠を旗印にして、彼が率いる通称『デビルバット軍』は快進撃を続けた。
きわめて達成が難しいと言われた難所も切り抜け、確実に勝利を重ねて。
気が付けば、ヒル魔とまもりは軍人として最高位である『大将』と『元帥』を拝命していた。
大将はともかく、女で元帥は前例がない。
まもりはそれだけの知識と知恵、そして『術』を持っていたし、任務遂行のためには手段を選ばない冷酷さも持ち合わせていたから、元帥着任にはそれほど揉めなかった。
ヒル魔が大将になったときの方が酷く揉めた気がする。
元帥となったまもりを相変わらず副官に据えるという突拍子もない発言までしたから尚更だ。
どちらにしてもヒル魔の脅迫手帳によって全ては丸く収まったのだけれど。
ヒル魔が直接指揮するデビルバット軍の面々は、ヒル魔とまもりの位が上がっても、接し方を変えなかった。
そもそもヒル魔はどれほど位が上がろうと態度を変える男ではなかったし、それに従うまもりもそうだった。
相変わらず笑わないが、慣れてくれば皆もまもりが表情程に素っ気ない人ではないのだと理解していた。
それでも鉄面皮な彼女にはやっかみなども含め『鋼鉄元帥』というあだ名がつきまとっていたけれど。
「元帥! こんにちは!」
「元帥、書庫ですか? 本お持ちします!」
手に本を抱えたまもりを見つけたデビルバット軍の二人、セナとモン太は駆け寄って彼女の手から本を取り上げた。
彼女は本を大量に読む。そして律儀にも自分で返しに行く。
位が上がればそれくらい部下に押しつけそうなものだが、彼女はきちんと自分で片づけた。
「ありがとう」
そこで微笑まないが、戸惑ったように口にされる礼の言葉に、二人は笑顔で応じる。
「いえいえ! 僕たちは元帥の作戦のおかげでここまで来られましたから!」
「そうっすよ! ヒル魔さ・・・大将にも感謝してますけど、ま・・・元帥にも感謝してます!」
二人はじゃあこれ戻してきますね、と言うなり駆けていった。
急がなくてもいいのだけれど、そう言う前に彼らは消えてしまう。
まもりは嘆息した。
ヒル魔が来る前までは部下とまもりとの距離は果てしなく遠かった。
けれど今となってはまもりの仏頂面など距離を置く理由にはなりはしない。
慕われるのに慣れていないまもりは所在なげにその場に立ちつくした。
「どうした」
「・・・こんちには」
背後から現れた男に、まもりは素っ気なく挨拶をする。
ヒル魔だ。大将としての地位を得てからもふらりふらりと彼は落ち着きなくその辺を歩き回ることが多い。
実際にはだらだらと歩くフリをして、部下の様子に抜け目なく気を配り、下僕としている連中から情報を吸い上げているというのもまもりは承知していた。
「何してるかっつって聞いてるんだよ」
「本を戻しに行くところでした」
「持ってねぇじゃねぇか」
「今、小早川と雷門が持って行きました」
「・・・ホー」
まもりは自室へと戻ろうと歩き出す。元帥という役職柄、彼女は大佐職だった時よりも広く大きな部屋をあてがわれている。それはヒル魔も同じ事。彼も大将職に就いたことで広い部屋をあてがわれたはずだ。
大抵フラフラしているのでその部屋で彼を捕まえる事はほとんど出来ないのだけれど。
「で、なんで着いてくるんですか」
「オヤオヤ冷たい。俺とあなたの仲じゃないデスカ」
「どんな仲よ」
ヒル魔のふざけた発言に耳を貸さず、まもりは室内に戻って窓を開いた。
さわさわと心地よい風が入り込む。当然のように室内に入ってどっかりとソファに座るヒル魔をちらりと眺め、まもりはコーヒーを淹れるべく室内に設えてある台所へと向かった。
彼がこうやってまもりの自室でくつろぐのはそう珍しいことではない。というか頻繁だ。
自身の部屋があるのだから出て行けと再三再四言っても彼は全く取り合わず、にやにやと笑うだけだ。
男と女で二人きり、というシチュエーションに対しての不安はまもりには全くない。
自分自身が自らの立場を犯してまで触れるべき対象とならないと知っているから。
漆黒の軍服に身を包み、相変わらず化粧っ気もなく書庫の虫で、女だてらに戦いに身を投じるまもり。
役職ばかりが高くなり、それでも家柄を見て言い寄っていた男も次第にいなくなった。
清々したと思うのは嘘ではない。まもりはただ本があって作戦さえ立てられたらそれでよかったのだ。
「はい」
「おー」
彼にコーヒーを淹れて、まもりは執務机に座って本を開く。
さらさらと作戦を書き付けるまもりを、ヒル魔はじっと見ている。
「お暇なら、隊員を鍛えたらいかがです?」
顔も上げずまもりは言う。ヒル魔は、奴らは自主練習してるだろうからいいと答えた。
「ご自分の鍛錬もせずに油を売るなんて、大将の名が泣くわよ」
「勝手に泣かせておけ、そんなもん」
「あら、肩書きは活用するためのモノでしょ」
言いながらもまもりは手を止めない。顔も上げない。
ヒル魔は黙ってコーヒーを飲み干すと、カップを片づけることもせずすたすたと部屋を出て行く。
彼が去ったのを足音と扉の閉まる音で察知し、それからしばらくしてからまもりは顔を上げた。
そこにはヒル魔が座っていたときのままの空間がある。
まもりは静かに嘆息した。彼は変わらず己のリズムを崩さずに大将職を勤めている。
役職が上がるにつれ部下の人数が膨れあがり、それでも彼は一人も見落とすことなく鍛えて優秀な軍隊を作り上げた。 部下の人数が増えて仕事が増えて、それでもまもりは間違いなく幾つも作戦を作り上げ、ヒル魔に託し、時には自分でもそれを実行した。
ヒル魔が前線を、まもりが後方で全体指揮を、というスタンスは今も変わらない。
けれど本来はそれではいけない。
大きな戦いになればなるほど、元帥も大将も前線には立たず、部下を使って戦うべきなのだ。
それでもヒル魔は前線を好んだ。当然のように背後を守れと命じられたまもりも戦場に立たざるを得ない。
だが、とまもりは思う。
彼もそろそろ我が儘ばかりで動くのを辞める時期だろう。
なにしろ、彼は――――――
そこまで考えて、まもりは再度嘆息し、頭を切り替えて作戦を練り始めた。
『ヒル魔大将が結婚するらしい』
その噂は、最初は水面下で、次第に表立って囁かれるようになった。
この国には跡継ぎとなる王子が存在しない。生まれはしたのだが、夭折したのだ。
その代わり姫君が数人おり、大体は近隣諸国との顔つなぎの意味もあって婚約している。
けれどその中にいる一人の嫁ぎ先が決まっていない。末の姫である。
彼女は姉妹一聡明であり、また美しいと評判だった。
そしてその彼女はこの国を継ぐことを明言していた。
当然の事ながら、女でこの国を継ぐと言うことは、婿を迎えるということだ。
婿となる男の条件は、この国の出自であり、この国のために働いており、そして人望もある人物であること。
どれをとってもヒル魔は最適だった。あえて言うなら彼は平民の出であるため、家柄などは全くない。
しかし軍人としてまだ年若いながら最高峰に近い『大将』であり、更に人望もある。
王も彼ならば了承するだろう、というのが周囲の見方だった。
破天荒ではあるが、彼の作戦が違ったことなど今まで一度もないからだ。
「ヒル魔さん、結婚なさるのかな」
「あんな悪魔みたいな王様嫌だぜ」
「でも政治の腕は確かそうだよ」
「元帥の作戦があったから間違いなく進んできたんだろ」
「そもそも引き込んだのはヒル魔さんじゃない?」
ひそひそとそこかしこで囁かれるヒル魔の将来への展望。
それが望ましいかどうかは当人だけが知るとして、まもりは手にした作戦帳をヒル魔の机に載せた。
ヒル魔は不在だった。どこにいるかは知らない。
まもりがどこに行ってもヒル魔はめざとく彼女を見つけ出したが、まもりがヒル魔を見つけ出すことはない。
彼がどこら辺にいるかは想像できるが、定かではない。なにしろ彼との接点は戦うとき以外ないから。
そしてこれからはそれさえも無くなるだろう。
まもりはスタスタと廊下を歩く。ふと見下ろした先に光るもの。
足を止めて見れば、それは銃を構えたヒル魔だった。
射撃場で打てばいいものを、彼は部下の目の前で自作と思われる的を射抜いていた。
その腕は正確無比。彼は情報という武器の他に、銃の扱いにも長けている。
接近戦ともなれば刀も抜くが、そこまで敵を近寄らせたのはまもりを隣に置いた最初の行軍の時一度きりだ。
今にして思えば、あの一件さえも計画のうちだったのだろう。
彼は何を考えているのか。
並べられた小さな的を全て打ち抜き、部下にもコツを伝授している。
どれも大将のやることではないのだが、指導する姿はイキイキとしていて。
そんな姿ももう少ししたら見られなくなるのだな、と思ったところで、まもりは静かに歩き出した。
誰が見ているわけでもなかったけれど、その場から早く立ち去らなければと追い立てられているように感じたから。そうして窓の外からヒル魔がこちらをうかがっていたことなど、まもりは知るよしもなかった。
ヒル魔が死の渓谷に『炎の花』を取りに行くらしい、という噂が立った。
それはかつてこの国の男たちが女に求婚するとき、手にしたという伝説の花。
現在はそれがなくとも結婚は出来るが、入手困難なその花を手にして求めれば、どんな女も頷くと言われる程美しい花らしい。そして王家の姫に結婚を申し込むなら、それは必須であろうとも言われていた。
何しろ伝説と呼ばれる程の花だ。
ふさわしい家柄もなく王家に取り入るならそれくらいの手みやげがないと難しいのだろう。
彼は行くのだろうか。
まもりはいつものように作戦を書き付けながらぼんやりとそんなことを思った。
彼が花を手に入れようが入れまいが、まもりには関係ない。
伏せられた瞳が、ふと視界の端に人影を見た。
「ッ!」
弾かれたように顔を上げたまもりの視線の先には、やはりいつものようにソファに座るヒル魔の姿。
いつの間に入り込んだのだろうか。
けれど彼はいつものようにだらけた風情ではなく、きっちりと軍服を着てなにやら荷物を抱えていた。
「コーヒー」
「・・・ここは喫茶室じゃないですよ」
まもりは文句を言いつつもコーヒーを淹れてヒル魔の前に立った。
「死の渓谷に行くんですか」
「ああ」
あっさりとした返答に、まもりは一度瞬いた。驚きもない。
きっとそうするだろうと、共に戦場に立ったまもりはそう理解していたから。
心の隅で蠢いた感覚を無視し、まもりはコーヒーを置いた後執務机から何かを持ち上げる。
「はい、どうぞ」
「ア?」
まもりが差し出したのは、いつもの作戦帳ではなく小振りなメモ帳だった。
「死の渓谷についての情報と、炎の花の生息区域に生息する生き物について、よ」
資料に寄れば、炎の花は毒虫たちの巣窟に生えるのだという。
とんでもなく大きな毒虫や獣も存在し、何人も命を落としている。
死の渓谷の名は伊達ではないのだ。
「今の時期は死神蝶の羽化が始まるから、毒ガス対応のマスクを持っていった方がいいわ」
ちなみに死神蝶というのは鱗粉に毒を持つ蝶で、吸い込むと命に関わる恐ろしい虫である。
「ホー」
ぺらぺらとメモ帳を捲りながらヒル魔は片方の眉を上げた。
「今から行くの?」
「おー」
コーヒーを飲み干し、ヒル魔は立ち上がる。まもりはその様子をじっと眺める。
扉のノブに手を掛けて、彼はちらりとまもりを見た。
「何か俺に言いたいことは?」
そう問われて、まもりはあっさりと言う。
「ご武運を」
そして頭を下げる様子に、ヒル魔はやや不満げに瞳を眇め、結局はそれ以上言わずにするりと扉を抜けていった。
まもりは机の上を片づけ始める。
ヒル魔が不在となれば彼で処理が終了すべきものがここまで上がってくるだろう。
これからの算段を考えながら散らかっていた書類を揃えるまもりの指が幽かに震えていたのを、次に入ってきた部下は気が付くことはなかった。
<続>
きわめて達成が難しいと言われた難所も切り抜け、確実に勝利を重ねて。
気が付けば、ヒル魔とまもりは軍人として最高位である『大将』と『元帥』を拝命していた。
大将はともかく、女で元帥は前例がない。
まもりはそれだけの知識と知恵、そして『術』を持っていたし、任務遂行のためには手段を選ばない冷酷さも持ち合わせていたから、元帥着任にはそれほど揉めなかった。
ヒル魔が大将になったときの方が酷く揉めた気がする。
元帥となったまもりを相変わらず副官に据えるという突拍子もない発言までしたから尚更だ。
どちらにしてもヒル魔の脅迫手帳によって全ては丸く収まったのだけれど。
ヒル魔が直接指揮するデビルバット軍の面々は、ヒル魔とまもりの位が上がっても、接し方を変えなかった。
そもそもヒル魔はどれほど位が上がろうと態度を変える男ではなかったし、それに従うまもりもそうだった。
相変わらず笑わないが、慣れてくれば皆もまもりが表情程に素っ気ない人ではないのだと理解していた。
それでも鉄面皮な彼女にはやっかみなども含め『鋼鉄元帥』というあだ名がつきまとっていたけれど。
「元帥! こんにちは!」
「元帥、書庫ですか? 本お持ちします!」
手に本を抱えたまもりを見つけたデビルバット軍の二人、セナとモン太は駆け寄って彼女の手から本を取り上げた。
彼女は本を大量に読む。そして律儀にも自分で返しに行く。
位が上がればそれくらい部下に押しつけそうなものだが、彼女はきちんと自分で片づけた。
「ありがとう」
そこで微笑まないが、戸惑ったように口にされる礼の言葉に、二人は笑顔で応じる。
「いえいえ! 僕たちは元帥の作戦のおかげでここまで来られましたから!」
「そうっすよ! ヒル魔さ・・・大将にも感謝してますけど、ま・・・元帥にも感謝してます!」
二人はじゃあこれ戻してきますね、と言うなり駆けていった。
急がなくてもいいのだけれど、そう言う前に彼らは消えてしまう。
まもりは嘆息した。
ヒル魔が来る前までは部下とまもりとの距離は果てしなく遠かった。
けれど今となってはまもりの仏頂面など距離を置く理由にはなりはしない。
慕われるのに慣れていないまもりは所在なげにその場に立ちつくした。
「どうした」
「・・・こんちには」
背後から現れた男に、まもりは素っ気なく挨拶をする。
ヒル魔だ。大将としての地位を得てからもふらりふらりと彼は落ち着きなくその辺を歩き回ることが多い。
実際にはだらだらと歩くフリをして、部下の様子に抜け目なく気を配り、下僕としている連中から情報を吸い上げているというのもまもりは承知していた。
「何してるかっつって聞いてるんだよ」
「本を戻しに行くところでした」
「持ってねぇじゃねぇか」
「今、小早川と雷門が持って行きました」
「・・・ホー」
まもりは自室へと戻ろうと歩き出す。元帥という役職柄、彼女は大佐職だった時よりも広く大きな部屋をあてがわれている。それはヒル魔も同じ事。彼も大将職に就いたことで広い部屋をあてがわれたはずだ。
大抵フラフラしているのでその部屋で彼を捕まえる事はほとんど出来ないのだけれど。
「で、なんで着いてくるんですか」
「オヤオヤ冷たい。俺とあなたの仲じゃないデスカ」
「どんな仲よ」
ヒル魔のふざけた発言に耳を貸さず、まもりは室内に戻って窓を開いた。
さわさわと心地よい風が入り込む。当然のように室内に入ってどっかりとソファに座るヒル魔をちらりと眺め、まもりはコーヒーを淹れるべく室内に設えてある台所へと向かった。
彼がこうやってまもりの自室でくつろぐのはそう珍しいことではない。というか頻繁だ。
自身の部屋があるのだから出て行けと再三再四言っても彼は全く取り合わず、にやにやと笑うだけだ。
男と女で二人きり、というシチュエーションに対しての不安はまもりには全くない。
自分自身が自らの立場を犯してまで触れるべき対象とならないと知っているから。
漆黒の軍服に身を包み、相変わらず化粧っ気もなく書庫の虫で、女だてらに戦いに身を投じるまもり。
役職ばかりが高くなり、それでも家柄を見て言い寄っていた男も次第にいなくなった。
清々したと思うのは嘘ではない。まもりはただ本があって作戦さえ立てられたらそれでよかったのだ。
「はい」
「おー」
彼にコーヒーを淹れて、まもりは執務机に座って本を開く。
さらさらと作戦を書き付けるまもりを、ヒル魔はじっと見ている。
「お暇なら、隊員を鍛えたらいかがです?」
顔も上げずまもりは言う。ヒル魔は、奴らは自主練習してるだろうからいいと答えた。
「ご自分の鍛錬もせずに油を売るなんて、大将の名が泣くわよ」
「勝手に泣かせておけ、そんなもん」
「あら、肩書きは活用するためのモノでしょ」
言いながらもまもりは手を止めない。顔も上げない。
ヒル魔は黙ってコーヒーを飲み干すと、カップを片づけることもせずすたすたと部屋を出て行く。
彼が去ったのを足音と扉の閉まる音で察知し、それからしばらくしてからまもりは顔を上げた。
そこにはヒル魔が座っていたときのままの空間がある。
まもりは静かに嘆息した。彼は変わらず己のリズムを崩さずに大将職を勤めている。
役職が上がるにつれ部下の人数が膨れあがり、それでも彼は一人も見落とすことなく鍛えて優秀な軍隊を作り上げた。 部下の人数が増えて仕事が増えて、それでもまもりは間違いなく幾つも作戦を作り上げ、ヒル魔に託し、時には自分でもそれを実行した。
ヒル魔が前線を、まもりが後方で全体指揮を、というスタンスは今も変わらない。
けれど本来はそれではいけない。
大きな戦いになればなるほど、元帥も大将も前線には立たず、部下を使って戦うべきなのだ。
それでもヒル魔は前線を好んだ。当然のように背後を守れと命じられたまもりも戦場に立たざるを得ない。
だが、とまもりは思う。
彼もそろそろ我が儘ばかりで動くのを辞める時期だろう。
なにしろ、彼は――――――
そこまで考えて、まもりは再度嘆息し、頭を切り替えて作戦を練り始めた。
『ヒル魔大将が結婚するらしい』
その噂は、最初は水面下で、次第に表立って囁かれるようになった。
この国には跡継ぎとなる王子が存在しない。生まれはしたのだが、夭折したのだ。
その代わり姫君が数人おり、大体は近隣諸国との顔つなぎの意味もあって婚約している。
けれどその中にいる一人の嫁ぎ先が決まっていない。末の姫である。
彼女は姉妹一聡明であり、また美しいと評判だった。
そしてその彼女はこの国を継ぐことを明言していた。
当然の事ながら、女でこの国を継ぐと言うことは、婿を迎えるということだ。
婿となる男の条件は、この国の出自であり、この国のために働いており、そして人望もある人物であること。
どれをとってもヒル魔は最適だった。あえて言うなら彼は平民の出であるため、家柄などは全くない。
しかし軍人としてまだ年若いながら最高峰に近い『大将』であり、更に人望もある。
王も彼ならば了承するだろう、というのが周囲の見方だった。
破天荒ではあるが、彼の作戦が違ったことなど今まで一度もないからだ。
「ヒル魔さん、結婚なさるのかな」
「あんな悪魔みたいな王様嫌だぜ」
「でも政治の腕は確かそうだよ」
「元帥の作戦があったから間違いなく進んできたんだろ」
「そもそも引き込んだのはヒル魔さんじゃない?」
ひそひそとそこかしこで囁かれるヒル魔の将来への展望。
それが望ましいかどうかは当人だけが知るとして、まもりは手にした作戦帳をヒル魔の机に載せた。
ヒル魔は不在だった。どこにいるかは知らない。
まもりがどこに行ってもヒル魔はめざとく彼女を見つけ出したが、まもりがヒル魔を見つけ出すことはない。
彼がどこら辺にいるかは想像できるが、定かではない。なにしろ彼との接点は戦うとき以外ないから。
そしてこれからはそれさえも無くなるだろう。
まもりはスタスタと廊下を歩く。ふと見下ろした先に光るもの。
足を止めて見れば、それは銃を構えたヒル魔だった。
射撃場で打てばいいものを、彼は部下の目の前で自作と思われる的を射抜いていた。
その腕は正確無比。彼は情報という武器の他に、銃の扱いにも長けている。
接近戦ともなれば刀も抜くが、そこまで敵を近寄らせたのはまもりを隣に置いた最初の行軍の時一度きりだ。
今にして思えば、あの一件さえも計画のうちだったのだろう。
彼は何を考えているのか。
並べられた小さな的を全て打ち抜き、部下にもコツを伝授している。
どれも大将のやることではないのだが、指導する姿はイキイキとしていて。
そんな姿ももう少ししたら見られなくなるのだな、と思ったところで、まもりは静かに歩き出した。
誰が見ているわけでもなかったけれど、その場から早く立ち去らなければと追い立てられているように感じたから。そうして窓の外からヒル魔がこちらをうかがっていたことなど、まもりは知るよしもなかった。
ヒル魔が死の渓谷に『炎の花』を取りに行くらしい、という噂が立った。
それはかつてこの国の男たちが女に求婚するとき、手にしたという伝説の花。
現在はそれがなくとも結婚は出来るが、入手困難なその花を手にして求めれば、どんな女も頷くと言われる程美しい花らしい。そして王家の姫に結婚を申し込むなら、それは必須であろうとも言われていた。
何しろ伝説と呼ばれる程の花だ。
ふさわしい家柄もなく王家に取り入るならそれくらいの手みやげがないと難しいのだろう。
彼は行くのだろうか。
まもりはいつものように作戦を書き付けながらぼんやりとそんなことを思った。
彼が花を手に入れようが入れまいが、まもりには関係ない。
伏せられた瞳が、ふと視界の端に人影を見た。
「ッ!」
弾かれたように顔を上げたまもりの視線の先には、やはりいつものようにソファに座るヒル魔の姿。
いつの間に入り込んだのだろうか。
けれど彼はいつものようにだらけた風情ではなく、きっちりと軍服を着てなにやら荷物を抱えていた。
「コーヒー」
「・・・ここは喫茶室じゃないですよ」
まもりは文句を言いつつもコーヒーを淹れてヒル魔の前に立った。
「死の渓谷に行くんですか」
「ああ」
あっさりとした返答に、まもりは一度瞬いた。驚きもない。
きっとそうするだろうと、共に戦場に立ったまもりはそう理解していたから。
心の隅で蠢いた感覚を無視し、まもりはコーヒーを置いた後執務机から何かを持ち上げる。
「はい、どうぞ」
「ア?」
まもりが差し出したのは、いつもの作戦帳ではなく小振りなメモ帳だった。
「死の渓谷についての情報と、炎の花の生息区域に生息する生き物について、よ」
資料に寄れば、炎の花は毒虫たちの巣窟に生えるのだという。
とんでもなく大きな毒虫や獣も存在し、何人も命を落としている。
死の渓谷の名は伊達ではないのだ。
「今の時期は死神蝶の羽化が始まるから、毒ガス対応のマスクを持っていった方がいいわ」
ちなみに死神蝶というのは鱗粉に毒を持つ蝶で、吸い込むと命に関わる恐ろしい虫である。
「ホー」
ぺらぺらとメモ帳を捲りながらヒル魔は片方の眉を上げた。
「今から行くの?」
「おー」
コーヒーを飲み干し、ヒル魔は立ち上がる。まもりはその様子をじっと眺める。
扉のノブに手を掛けて、彼はちらりとまもりを見た。
「何か俺に言いたいことは?」
そう問われて、まもりはあっさりと言う。
「ご武運を」
そして頭を下げる様子に、ヒル魔はやや不満げに瞳を眇め、結局はそれ以上言わずにするりと扉を抜けていった。
まもりは机の上を片づけ始める。
ヒル魔が不在となれば彼で処理が終了すべきものがここまで上がってくるだろう。
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同人歴は読み専門も含めると二桁は楽勝。
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