旧『そ れ は 突 然 の 嵐 の よ う に』です。
ア イ シ ー ル ド 21 ヒ ル ま も ss 中心。
いらっしゃらないとは思いますが、禁無断転載でお願いします。
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「家の中にいて、家具の隙間にいたんだろうね。大きな怪我もない。雨で冷えていたけれど大事ないよ」
穏やかな口調でセナを手当てした男はそう言った。ヒル魔がメガネと呼んだ男は高見というらしい。
背が高く、まもりは首をほとんど垂直にしないと彼の顔が見えない。
「セナ、は」
「今はただ眠っているだけだ。しばらくしたら目を覚ますよ」
それにまもりは安心しきって、泥だらけの手足も構わずその場に座り込んだ。
「よかった・・・」
ぼろぼろと涙を零すまもりにしゃがみ込んだ男はまもりの手もぼろぼろなのに気が付いてその顔を覗き込む。
「君の手も手当てしないといけないね」
「あ・・・」
言われてやっと痛みを感じる。
まずは手を洗ってね、と示された桶でそっと手を洗った。傷に染みるが、泥が残ると良くないと聞いた事がある。きちんと洗って彼の元に戻ると、その手に薬を塗り、丁寧に包帯を巻いてくれた。
「これでよし。彼も今夜は目覚めないだろうし、君は一度戻った方がいいね」
僕がついているから大丈夫、と言われ、まもりは頷く。
神殿の中はひっそりと静まりかえっていた。
以前来たときにはもう少し人通りがあったような気がするのに、誰もいない。
不審に思うが、セナを助けてくれたヒル魔に御礼が言いたくて、まもりは急ぎ一路屋敷へと戻った。
そこにはケルベロスがじっと天を仰いで待っていた。
「ただいま、ケルベロス!」
「ワフ」
ケルベロスに挨拶して屋敷を見て、そこでその異様さにまもりはぴたりと足を止めた。
いつもヒル魔がいる時、屋敷には明かりがあった。
けれど今、この屋敷のどこにも明かりがない。
「ヒル魔さま?」
まもりは室内を調べるが、どこにも彼の姿はない。どうしたのだろう。
彼がこの屋敷を開けたことはない。
まもりが来る以前は知らないが、少なくともまもりがこの屋敷に来てからは彼がいなかったことはないのに。
「ヒル魔さま・・・」
彼を求めて彷徨うまもりの前に、人影が現れる。
「まもりちゃん」
「え?! 鈴音ちゃん!?」
考えても見ない来客に、まもりは目を丸くした。そこには悄然と鈴音が立っている。
「ああでもよかった! ヒル魔さまがいらっしゃらないんです!」
「・・・妖兄なら、この屋敷にはいないわ」
鈴音に話しかけるも、その落ち込んだ様子にまもりは戸惑う。
一体どうしたというのだろう。まもりがいない間に何が起こったというのだろうか。
鈴音は重々しく口を開く。
「妖兄は――――」
そしてその言葉に、まもりはまたしても顔色を亡くしたのだった。
一夜が明け、まもりは見慣れない天井に一瞬自分がどこにいるのか考えてしまう。
けれどすぐ思い出して重く心が沈み込んだ。
ヒル魔が神殿に捕まってしまった。
それもまもりがセナを助けたい、そう願ってそれを叶えたのが原因だという。
あの木を成長させた呪文、そしてあの災害から一人だけ助け、あまつさえ一般の人間を神殿に運び込んで治療を受けさせたというのは特定個人だけの願いを叶える事に他ならず、平等でなければならないという仙人の存在を否定することなのだという。
まもりの目に涙が浮かぶ。
まさかヒル魔にこんな迷惑を掛ける事になるなんて、とまもりは絶望に打ちひしがれた。
たしかにセナを助けたかったけれど、ヒル魔がそのために窮地に立たされるなんて考えていなかったのだ。
鈴音に聞かされた言葉に、まもりは気を失いそうだった。
仙人として最高位にあるらしい彼にそんな咎を負わせるなんて、と。
落ち込むまもりを鈴音はケルベロスとポヨごと自らの屋敷に連れ帰った。
あの屋敷を空けるのは躊躇われたが、ヒル魔が不在の今、どんなトラップが発動するか知れたものではないのでかえって居るのは危ないという鈴音の助言からだ。
「妖兄のことだから、きっと無事帰ってくるよ」
「はい・・・」
すっかり元気をなくしたまもりは鈴音に用意された食事を申し訳程度に口を付け、その後ふさぎ込んでしまう。
無理もない、と鈴音は内心嘆息する。ただでさえまだ幼い少女であり、家族恋しい時期なのに話に聞く限り、弟は助かったが意識は戻っておらず、両親はあの土砂崩れで死んだようだ。
そして親のように彼女を育てるヒル魔はとらわれの身である。それも己の願いによって。
これで落ち込まない者がいるなら見てみたいとさえ思える。
「後で神殿に一緒に行こうか。弟君、見てみたいな」
「はい・・・」
明るい鈴音の声に、まもりは薄く笑う。
こんな冷めた笑いは彼女には似合わない。もっと弾けるような、年相応の顔をさせるべきだと鈴音も思う。
「私はまもりちゃんの味方だからね」
柔らかい手に、まもりの傷ついた手が包まれる。
その心地よい熱に、まもりは泣きそうな顔をしてありがとう、そう告げた。
そこは真っ白な世界だった。
『仙人としては随分と軽率な所業じゃの』
そこにぽつねんと立たされたヒル魔の手には手枷。けれど飄々とした彼の表情は変わらない。
「まあな」
聞こえる声は苦笑混じりの柔らかい声だった。
『おぬし程の者ならそれくらい容易く推測できるじゃろうに』
「推測はしたな。それに伴う損得も全部考えたな」
『それでもおぬしは子供を助ける道を選んだのじゃの』
「ウチのガキ弟子が泣くモノデ」
ヒル魔の顔にその時浮かんだ笑みがあまりに柔らかく、その声の苦笑がさらに深くなる。
『おぬしにそのような顔をさせるなぞ、大した弟子じゃ』
「俺の弟子だからな」
声はあまりに遠く近く、まるで距離感を感じさせない存在だ。
いつかもう思い出せない程昔にヒル魔が仙人として認められたときもこのような感じだった。
違うのは手枷の有無程度だ。
『よい顔をするようになったの』
含み笑いをするような声にも、ヒル魔はにやりと笑ったきりだ。
『しばらくは儂との会話に終始するのがおぬしへの罰じゃ』
そのしばらく、がどの程度なのかヒル魔には計りかねる。何しろこの声の主はただ者ではない。
この声こそが世界の起源の男神であり、世界の意志であると言われている。
詳細は定かではないが、地中には世界の起源の女神が居るとのこと。
ヒル魔は天界に属する仙人であるが故に地上の女神は見た事がないのだが。
「あんまり長ェのは困るな」
その言葉に声がまた笑う。
『それはその弟子のためかの? ならば彼女が迎えに来るまで、としようか』
真っ白な世界にふわりと人影が現れる。面白そうに笑う人影の顔も年齢も、ヒル魔の目には判然としない。
神は人の目に見えるものではないから。
ただ見守る、それだけの存在が今、ヒル魔の前に静かに立っていた。
まもりが神殿に着くと、そこは物々しく警備がされていた。
まるで猫の子一匹通さないというような様子だが、まもりはどうにか高見に取り次いで貰えるように訴える。
けれど警備をする者たちは誰一人首を縦に振らなかった。
「セナは私の弟なんです! だから・・・」
「理由が何であろうとここを通すわけにはいかぬ」
屈強な男に遮られる。ならば、とヒル魔の所在を尋ねるが、やはりまもりには教えられないとの一点張り。
見かねた鈴音が口添えをしても、状況は変わらなかった。
「~~~んもう! 相変わらず融通が利かないんだからー!」
ぷーっと膨れる鈴音に、まもりはただうなだれるだけだ。
このままヒル魔とも会えず、セナとも会えなかったらどうしたらいいのだろうか。
と。
「まもり嬢ちゃんか?」
「ムサシ様!!」
うっそりとムサシが顔を出した。彼がまもりに歩み寄ると、警備兵が慌ててそれを止めようとする。
だが、ムサシの視線の強さに黙らされる。
「すまないな」
「それはセナのことですか? それとも、ヒル魔様のことですか?」
ムサシは少し考えてからまもりの頭に手を置く。
「両方だ」
「ならどちらも謝られることではありません。むしろ謝らなくてはならないのは私です」
師であるヒル魔をとらわれの身にし、大切な弟を助けたいという己の欲だけでムサシにもその片棒を担がせてしまった。そんなまもりにムサシは淡々と告げる。
「俺はおとがめなしだ。ヒル魔が全ての責を負ったからな」
「!!」
その言葉に、まもりはまた泣きそうになる。
いつだってヒル魔は判りづらく優しい。
きっとムサシはそんなヒル魔の事を判っていて、セナを神殿に連れて行くときに逡巡したのだ。
ヒル魔が脅したからやむなくムサシはセナを神殿に連れて行って治療を受けさせた、という大義名分を作ったのだと気づいたから。
「だが、今ヒル魔は牢に入れられたり拷問を受けたりというような目には遭っていない」
「え?」
ちらちらとこちらを伺う警備兵の視線を受け、ムサシはまもりを抱き上げた。
「場所を移そう。鈴、来い」
「うん!」
すたすたと歩くムサシを誰も止められない。西の風神という立場はこの神殿内では絶大なのだ。
「ヒル魔が身柄を拘束されてこの神殿に連れてこられたとき、託宣があった」
託宣。それはこの神殿に祀られる神が司祭たる者に言葉を告げること。
唐突なそれは意外な内容だった。
「『ヒル魔を扉へ』と」
「扉・・・」
「そこは天空の神がおわす扉。その扉をくぐれるのは選ばれた仙人だけだ。ヒル魔はそこをくぐって、それからは音沙汰がない」
「そうなんですか」
「ヒル魔はあれでも一応天空にいる仙人の中で一位なんでな」
「そうよー、だからみんな妖兄が弟子取った、っていうんで大騒ぎしたんだから」
鈴音の補足に、まもりは自分がかなり特別な扱いをされていたのだとようやく知る。
「そう、なんですか」
それと知らずまもりは彼に師事していた。まもりはただ嘆息する。
「俺はあの扉の向こうを知らないから、ヒル魔が今何をしているかは判らない」
「やー。私も扉をくぐった事はないよ」
「・・・」
まもりはどうしたらヒル魔に再び会えるか、と頭を悩ませる。鈴音も通れない扉をまもりが通れるだろうか。
ムサシは歩みを止めず歩いていて、そうしてたどり着いた場所の扉をノックする。
「はい。・・・!」
そこは昨日セナを預かってくれた高見の部屋だった。
彼はムサシとまもり、鈴音を見て一瞬目を丸くしたがすぐに身体をずらした。入れ、ということだろう。
「よくここまで来られたね。警備が凄かっただろうに」
「あの・・・ムサシ様に連れてきて頂きました」
「ああ」
納得した、という顔で高見は頷いた。落ち着いた彼の様子に、まもりは恐る恐る尋ねる。
「あの・・・、セナ、は・・・」
「ああ。さっき目を覚ましたよ」
その言葉にまもりの顔がぱっと輝いた。けれど高見は辛そうに彼女の前で頭を振る。
「けれど君は彼には会わせられない」
「え?! ど、どうしてですか?!」
「やー?! どうして!?」
驚くまもりと鈴音に、高見は申し訳なさそうに言葉を綴る。
「彼は回復次第この天空から地上に帰さなければならない。彼は誰かの弟子でもないし、天空人でもないからね」
「そ、そんな!」
「本来は助からない命だった。これでもかなりの温情なんだ」
「セナ・・・」
涙を浮かべるまもりに、高見は言い聞かせるように続ける。
「彼の記憶は消され、彼は神隠しにあって戻ってきた子のように遠くの村に生きる事になるだろう。君の事も忘れてしまう」
高見はなおも続ける。
「彼は天涯孤独の身となった。親類縁者は両親も含め、あの土砂災害の餌食になった。そして唯一の肉親である君も今は天空に生きる身、君と一緒に時を刻む事は出来ないんだよ」
「・・・う・・・」
まもりはぼたぼたと涙を零す。
あんまりだ、と思う。
両親はおそらくあの様子を見る限り、死んだのだろうとは思っていた。
あの時、セナと一緒に出てこなかったから、別の場所で土砂に襲われたに違いない。
けれどセナを心配するあまりあのような姿になってまもりに頭を下げてまで助けようとしていた。
養い親だと聞かされていたけれど一時は本当の親子として生活していたあの二人ともう会えない。
唯一生き残った肉親(正確には違うけれど)である弟は容赦なくあの地上に落とされるのだという。
自分のように面倒を見てくれる養い親が出てくれればいいが、そうでなければ幼い彼一人で生きる事は容易くない。死ねと言っているのと同義だ。
しかもまもりも今は師であるヒル魔が囚われている身、彼がいつ出てくるとも知れない現在、何一つ後ろ盾もない状態で、一人この天空で過ごすのはとても難しいように思えた。
落ち込んだまもりに、高見が更に言葉を重ねる。
「だから、君は扉から神に語りかけるべきだと思うんだ」
「え―――」
にやり、と彼は笑った。よくヒル魔がやるような笑みを。
穏やかさばかりが先だった昨日とは違う表情に、まもりは目を丸くした。
「今ヒル魔は扉の向こうで神の審判を受けている。そこに語りかけてみるといい」
「そんなこと、出来るんですか?」
神が居る扉なんて、警備がもっとも厳しそうなのに。
「できるよ。あの扉は神が選んだ仙人しか通れないから、そもそも警備はないんだ」
やってみるだけやってみて、それから色々考えればいいんじゃないかな、と高見は笑う。
ぽんぽんとまもりの頭を撫でてやりながら。
「神は君の師であるヒル魔を神殿の掟で裁かせず、自らの手元に呼び寄せた。それは彼の行いそのものが神殿が裁くべきではないと神が考えたとは思えないかい?」
こんなことは初めてなんだよ、そう言われてまもりは考える。
「ヒル魔が扉から帰ってきたなら、神殿はこの件で今後ヒル魔に手出しする事はできない」
実際に神様に会えるとは思えないし、ヒル魔が帰ってくるかは判らない。
けれどやれるだけのことはやってみよう、とまもりは思った。
「ヒル魔が帰ってくれば、状況は好転するだろう」
それでまもりの心は決まった。
「二人を助けたいです」
「よし。じゃあ、ムサシ」
「ああ。俺が案内する」
まもりを抱き上げようとする腕を彼女は断った。
「これからお願いをするのに、自分の足で伺わない小娘では門前払いされてしまいます」
「それもそうかもな」
微笑うムサシと共にまもりが部屋を出て行く。
ただ黙ってじっとその様子を見ていた鈴音に、高見が振り返った。
「ところで鈴音さん」
「やー。なに?」
「彼女の弟に会いますか?」
「え?! いいの?!」
「ええ」
高見は笑う。その含みのある笑みに気づいていたが、鈴音はそれでも頷いた。
多分高見も自分も考えている事は一緒だ。
それが実現できるかどうかはこの後、セナという少年に会ってから考えればいい。
<続>
穏やかな口調でセナを手当てした男はそう言った。ヒル魔がメガネと呼んだ男は高見というらしい。
背が高く、まもりは首をほとんど垂直にしないと彼の顔が見えない。
「セナ、は」
「今はただ眠っているだけだ。しばらくしたら目を覚ますよ」
それにまもりは安心しきって、泥だらけの手足も構わずその場に座り込んだ。
「よかった・・・」
ぼろぼろと涙を零すまもりにしゃがみ込んだ男はまもりの手もぼろぼろなのに気が付いてその顔を覗き込む。
「君の手も手当てしないといけないね」
「あ・・・」
言われてやっと痛みを感じる。
まずは手を洗ってね、と示された桶でそっと手を洗った。傷に染みるが、泥が残ると良くないと聞いた事がある。きちんと洗って彼の元に戻ると、その手に薬を塗り、丁寧に包帯を巻いてくれた。
「これでよし。彼も今夜は目覚めないだろうし、君は一度戻った方がいいね」
僕がついているから大丈夫、と言われ、まもりは頷く。
神殿の中はひっそりと静まりかえっていた。
以前来たときにはもう少し人通りがあったような気がするのに、誰もいない。
不審に思うが、セナを助けてくれたヒル魔に御礼が言いたくて、まもりは急ぎ一路屋敷へと戻った。
そこにはケルベロスがじっと天を仰いで待っていた。
「ただいま、ケルベロス!」
「ワフ」
ケルベロスに挨拶して屋敷を見て、そこでその異様さにまもりはぴたりと足を止めた。
いつもヒル魔がいる時、屋敷には明かりがあった。
けれど今、この屋敷のどこにも明かりがない。
「ヒル魔さま?」
まもりは室内を調べるが、どこにも彼の姿はない。どうしたのだろう。
彼がこの屋敷を開けたことはない。
まもりが来る以前は知らないが、少なくともまもりがこの屋敷に来てからは彼がいなかったことはないのに。
「ヒル魔さま・・・」
彼を求めて彷徨うまもりの前に、人影が現れる。
「まもりちゃん」
「え?! 鈴音ちゃん!?」
考えても見ない来客に、まもりは目を丸くした。そこには悄然と鈴音が立っている。
「ああでもよかった! ヒル魔さまがいらっしゃらないんです!」
「・・・妖兄なら、この屋敷にはいないわ」
鈴音に話しかけるも、その落ち込んだ様子にまもりは戸惑う。
一体どうしたというのだろう。まもりがいない間に何が起こったというのだろうか。
鈴音は重々しく口を開く。
「妖兄は――――」
そしてその言葉に、まもりはまたしても顔色を亡くしたのだった。
一夜が明け、まもりは見慣れない天井に一瞬自分がどこにいるのか考えてしまう。
けれどすぐ思い出して重く心が沈み込んだ。
ヒル魔が神殿に捕まってしまった。
それもまもりがセナを助けたい、そう願ってそれを叶えたのが原因だという。
あの木を成長させた呪文、そしてあの災害から一人だけ助け、あまつさえ一般の人間を神殿に運び込んで治療を受けさせたというのは特定個人だけの願いを叶える事に他ならず、平等でなければならないという仙人の存在を否定することなのだという。
まもりの目に涙が浮かぶ。
まさかヒル魔にこんな迷惑を掛ける事になるなんて、とまもりは絶望に打ちひしがれた。
たしかにセナを助けたかったけれど、ヒル魔がそのために窮地に立たされるなんて考えていなかったのだ。
鈴音に聞かされた言葉に、まもりは気を失いそうだった。
仙人として最高位にあるらしい彼にそんな咎を負わせるなんて、と。
落ち込むまもりを鈴音はケルベロスとポヨごと自らの屋敷に連れ帰った。
あの屋敷を空けるのは躊躇われたが、ヒル魔が不在の今、どんなトラップが発動するか知れたものではないのでかえって居るのは危ないという鈴音の助言からだ。
「妖兄のことだから、きっと無事帰ってくるよ」
「はい・・・」
すっかり元気をなくしたまもりは鈴音に用意された食事を申し訳程度に口を付け、その後ふさぎ込んでしまう。
無理もない、と鈴音は内心嘆息する。ただでさえまだ幼い少女であり、家族恋しい時期なのに話に聞く限り、弟は助かったが意識は戻っておらず、両親はあの土砂崩れで死んだようだ。
そして親のように彼女を育てるヒル魔はとらわれの身である。それも己の願いによって。
これで落ち込まない者がいるなら見てみたいとさえ思える。
「後で神殿に一緒に行こうか。弟君、見てみたいな」
「はい・・・」
明るい鈴音の声に、まもりは薄く笑う。
こんな冷めた笑いは彼女には似合わない。もっと弾けるような、年相応の顔をさせるべきだと鈴音も思う。
「私はまもりちゃんの味方だからね」
柔らかい手に、まもりの傷ついた手が包まれる。
その心地よい熱に、まもりは泣きそうな顔をしてありがとう、そう告げた。
そこは真っ白な世界だった。
『仙人としては随分と軽率な所業じゃの』
そこにぽつねんと立たされたヒル魔の手には手枷。けれど飄々とした彼の表情は変わらない。
「まあな」
聞こえる声は苦笑混じりの柔らかい声だった。
『おぬし程の者ならそれくらい容易く推測できるじゃろうに』
「推測はしたな。それに伴う損得も全部考えたな」
『それでもおぬしは子供を助ける道を選んだのじゃの』
「ウチのガキ弟子が泣くモノデ」
ヒル魔の顔にその時浮かんだ笑みがあまりに柔らかく、その声の苦笑がさらに深くなる。
『おぬしにそのような顔をさせるなぞ、大した弟子じゃ』
「俺の弟子だからな」
声はあまりに遠く近く、まるで距離感を感じさせない存在だ。
いつかもう思い出せない程昔にヒル魔が仙人として認められたときもこのような感じだった。
違うのは手枷の有無程度だ。
『よい顔をするようになったの』
含み笑いをするような声にも、ヒル魔はにやりと笑ったきりだ。
『しばらくは儂との会話に終始するのがおぬしへの罰じゃ』
そのしばらく、がどの程度なのかヒル魔には計りかねる。何しろこの声の主はただ者ではない。
この声こそが世界の起源の男神であり、世界の意志であると言われている。
詳細は定かではないが、地中には世界の起源の女神が居るとのこと。
ヒル魔は天界に属する仙人であるが故に地上の女神は見た事がないのだが。
「あんまり長ェのは困るな」
その言葉に声がまた笑う。
『それはその弟子のためかの? ならば彼女が迎えに来るまで、としようか』
真っ白な世界にふわりと人影が現れる。面白そうに笑う人影の顔も年齢も、ヒル魔の目には判然としない。
神は人の目に見えるものではないから。
ただ見守る、それだけの存在が今、ヒル魔の前に静かに立っていた。
まもりが神殿に着くと、そこは物々しく警備がされていた。
まるで猫の子一匹通さないというような様子だが、まもりはどうにか高見に取り次いで貰えるように訴える。
けれど警備をする者たちは誰一人首を縦に振らなかった。
「セナは私の弟なんです! だから・・・」
「理由が何であろうとここを通すわけにはいかぬ」
屈強な男に遮られる。ならば、とヒル魔の所在を尋ねるが、やはりまもりには教えられないとの一点張り。
見かねた鈴音が口添えをしても、状況は変わらなかった。
「~~~んもう! 相変わらず融通が利かないんだからー!」
ぷーっと膨れる鈴音に、まもりはただうなだれるだけだ。
このままヒル魔とも会えず、セナとも会えなかったらどうしたらいいのだろうか。
と。
「まもり嬢ちゃんか?」
「ムサシ様!!」
うっそりとムサシが顔を出した。彼がまもりに歩み寄ると、警備兵が慌ててそれを止めようとする。
だが、ムサシの視線の強さに黙らされる。
「すまないな」
「それはセナのことですか? それとも、ヒル魔様のことですか?」
ムサシは少し考えてからまもりの頭に手を置く。
「両方だ」
「ならどちらも謝られることではありません。むしろ謝らなくてはならないのは私です」
師であるヒル魔をとらわれの身にし、大切な弟を助けたいという己の欲だけでムサシにもその片棒を担がせてしまった。そんなまもりにムサシは淡々と告げる。
「俺はおとがめなしだ。ヒル魔が全ての責を負ったからな」
「!!」
その言葉に、まもりはまた泣きそうになる。
いつだってヒル魔は判りづらく優しい。
きっとムサシはそんなヒル魔の事を判っていて、セナを神殿に連れて行くときに逡巡したのだ。
ヒル魔が脅したからやむなくムサシはセナを神殿に連れて行って治療を受けさせた、という大義名分を作ったのだと気づいたから。
「だが、今ヒル魔は牢に入れられたり拷問を受けたりというような目には遭っていない」
「え?」
ちらちらとこちらを伺う警備兵の視線を受け、ムサシはまもりを抱き上げた。
「場所を移そう。鈴、来い」
「うん!」
すたすたと歩くムサシを誰も止められない。西の風神という立場はこの神殿内では絶大なのだ。
「ヒル魔が身柄を拘束されてこの神殿に連れてこられたとき、託宣があった」
託宣。それはこの神殿に祀られる神が司祭たる者に言葉を告げること。
唐突なそれは意外な内容だった。
「『ヒル魔を扉へ』と」
「扉・・・」
「そこは天空の神がおわす扉。その扉をくぐれるのは選ばれた仙人だけだ。ヒル魔はそこをくぐって、それからは音沙汰がない」
「そうなんですか」
「ヒル魔はあれでも一応天空にいる仙人の中で一位なんでな」
「そうよー、だからみんな妖兄が弟子取った、っていうんで大騒ぎしたんだから」
鈴音の補足に、まもりは自分がかなり特別な扱いをされていたのだとようやく知る。
「そう、なんですか」
それと知らずまもりは彼に師事していた。まもりはただ嘆息する。
「俺はあの扉の向こうを知らないから、ヒル魔が今何をしているかは判らない」
「やー。私も扉をくぐった事はないよ」
「・・・」
まもりはどうしたらヒル魔に再び会えるか、と頭を悩ませる。鈴音も通れない扉をまもりが通れるだろうか。
ムサシは歩みを止めず歩いていて、そうしてたどり着いた場所の扉をノックする。
「はい。・・・!」
そこは昨日セナを預かってくれた高見の部屋だった。
彼はムサシとまもり、鈴音を見て一瞬目を丸くしたがすぐに身体をずらした。入れ、ということだろう。
「よくここまで来られたね。警備が凄かっただろうに」
「あの・・・ムサシ様に連れてきて頂きました」
「ああ」
納得した、という顔で高見は頷いた。落ち着いた彼の様子に、まもりは恐る恐る尋ねる。
「あの・・・、セナ、は・・・」
「ああ。さっき目を覚ましたよ」
その言葉にまもりの顔がぱっと輝いた。けれど高見は辛そうに彼女の前で頭を振る。
「けれど君は彼には会わせられない」
「え?! ど、どうしてですか?!」
「やー?! どうして!?」
驚くまもりと鈴音に、高見は申し訳なさそうに言葉を綴る。
「彼は回復次第この天空から地上に帰さなければならない。彼は誰かの弟子でもないし、天空人でもないからね」
「そ、そんな!」
「本来は助からない命だった。これでもかなりの温情なんだ」
「セナ・・・」
涙を浮かべるまもりに、高見は言い聞かせるように続ける。
「彼の記憶は消され、彼は神隠しにあって戻ってきた子のように遠くの村に生きる事になるだろう。君の事も忘れてしまう」
高見はなおも続ける。
「彼は天涯孤独の身となった。親類縁者は両親も含め、あの土砂災害の餌食になった。そして唯一の肉親である君も今は天空に生きる身、君と一緒に時を刻む事は出来ないんだよ」
「・・・う・・・」
まもりはぼたぼたと涙を零す。
あんまりだ、と思う。
両親はおそらくあの様子を見る限り、死んだのだろうとは思っていた。
あの時、セナと一緒に出てこなかったから、別の場所で土砂に襲われたに違いない。
けれどセナを心配するあまりあのような姿になってまもりに頭を下げてまで助けようとしていた。
養い親だと聞かされていたけれど一時は本当の親子として生活していたあの二人ともう会えない。
唯一生き残った肉親(正確には違うけれど)である弟は容赦なくあの地上に落とされるのだという。
自分のように面倒を見てくれる養い親が出てくれればいいが、そうでなければ幼い彼一人で生きる事は容易くない。死ねと言っているのと同義だ。
しかもまもりも今は師であるヒル魔が囚われている身、彼がいつ出てくるとも知れない現在、何一つ後ろ盾もない状態で、一人この天空で過ごすのはとても難しいように思えた。
落ち込んだまもりに、高見が更に言葉を重ねる。
「だから、君は扉から神に語りかけるべきだと思うんだ」
「え―――」
にやり、と彼は笑った。よくヒル魔がやるような笑みを。
穏やかさばかりが先だった昨日とは違う表情に、まもりは目を丸くした。
「今ヒル魔は扉の向こうで神の審判を受けている。そこに語りかけてみるといい」
「そんなこと、出来るんですか?」
神が居る扉なんて、警備がもっとも厳しそうなのに。
「できるよ。あの扉は神が選んだ仙人しか通れないから、そもそも警備はないんだ」
やってみるだけやってみて、それから色々考えればいいんじゃないかな、と高見は笑う。
ぽんぽんとまもりの頭を撫でてやりながら。
「神は君の師であるヒル魔を神殿の掟で裁かせず、自らの手元に呼び寄せた。それは彼の行いそのものが神殿が裁くべきではないと神が考えたとは思えないかい?」
こんなことは初めてなんだよ、そう言われてまもりは考える。
「ヒル魔が扉から帰ってきたなら、神殿はこの件で今後ヒル魔に手出しする事はできない」
実際に神様に会えるとは思えないし、ヒル魔が帰ってくるかは判らない。
けれどやれるだけのことはやってみよう、とまもりは思った。
「ヒル魔が帰ってくれば、状況は好転するだろう」
それでまもりの心は決まった。
「二人を助けたいです」
「よし。じゃあ、ムサシ」
「ああ。俺が案内する」
まもりを抱き上げようとする腕を彼女は断った。
「これからお願いをするのに、自分の足で伺わない小娘では門前払いされてしまいます」
「それもそうかもな」
微笑うムサシと共にまもりが部屋を出て行く。
ただ黙ってじっとその様子を見ていた鈴音に、高見が振り返った。
「ところで鈴音さん」
「やー。なに?」
「彼女の弟に会いますか?」
「え?! いいの?!」
「ええ」
高見は笑う。その含みのある笑みに気づいていたが、鈴音はそれでも頷いた。
多分高見も自分も考えている事は一緒だ。
それが実現できるかどうかはこの後、セナという少年に会ってから考えればいい。
<続>
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