旧『そ れ は 突 然 の 嵐 の よ う に』です。
ア イ シ ー ル ド 21 ヒ ル ま も ss 中心。
いらっしゃらないとは思いますが、禁無断転載でお願いします。
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ここは泥門デビルバッツカンパニー。
ヒル魔が書類を纏めていると、背後から聞き慣れた足音がした。
振り返るとコーヒーを片手に栗田がにこにこと笑っている。
「お疲れ様。これどうぞ」
「サンキュ」
ヒル魔はありがたくソレを受け取ると口を付ける。
パソコン画面を凝視しすぎたせいでやや頭が痛いのが緩和されるようだ。
「最近、根詰めてるね」
「正念場だからな」
山積みになった企画書。その成功はヒル魔の腕に掛かっていると言ってもいいほどの事務量。
実際に表に出る事はないポジションだが、あらゆる業務のサポートの位置にいると言っても過言ではないほど彼は働いている。
「ねえ、そういえばさ。こないだ猫助けたんだ」
「ア?」
唐突な話題に、ヒル魔は眉を寄せる。
「茶虎で青い目の、すごく可愛い猫でね。歩き方がおかしかったから見てあげたら、足に棘が刺さってて。抜いてあげたら嬉しそうに鳴いたんだ」
「ホー。恩返しでも期待してるのか」
くだらない、と顔に書いてヒル魔は適当な相槌を打つ。
「うん。それでね」
栗田はにこりと笑って頷く。
「恩返しするなら、ヒル魔の所に行ってくれたら嬉しいって言っておいたんだ」
「アァ?」
「だって僕は実家だけど、ヒル魔一人暮らしでしょ。猫が恩返しに来てくれたら嬉しくない?」
「嬉しくねぇよ。なんで猫の面倒見なきゃなんねぇんだ」
訝しげなヒル魔に、栗田は首を振る。
「違うよー、ヒル魔の面倒をお願いしたいって言ったんだから、ヒル魔の面倒を見てくれるんだよ?」
「アーはいはい、来てくれたら楽だろうナァ」
なにせしがない独身男性、仕事三昧の生活でヒル魔の周囲に女の影はなく、そんな気にもならないというのが現状なのだ。寂しいヤツだな、と既に所帯持ちの友人には言われた事があるが、それは個人の感想であって自分がそう思わないのだから別にいいのだ。
栗田の言葉を適当に肯定し、ヒル魔は休憩を終えて仕事に戻る。
そんな彼の背中をじっと見た栗田は、ちょっとため息をついて自席へと戻ったのだった。
結局ヒル魔が会社を出たのは0時過ぎだった。基本的に9時を過ぎるとフロアの照明は全て落とされてしまうのだが、ヒル魔だけはそのような目に遭わないことになっている。
空腹のピークも過ぎ、結局何も食べず寝てしまうのだろうな、と自分を分析する。家に食べるものがあれば別だが、ここのところ忙しくてインスタント食品の買い出しすら行けていない。
いずれ過労死しちゃいますよ、というかつての同級生で今は医者の言葉を思い出す。
だがそれはそれでいい。刹那主義と言われたらそれまでだが、今はヒル魔にとって仕事が全てなのだ。
疲れた身体を引きずって、ヒル魔は自宅に帰る。
ごく一般的な1LDKのマンションは会社が社宅用に丸ごと借りている建物だ。
通勤も便利だし家賃も安いので、ヒル魔がここに住処を構えてからもうかなり経った。
その鍵を開こうと鍵穴にキーを差し入れ、ドアノブを引いて。
ガチャン。
・・・あり得ない抵抗に、ヒル魔は半ば寝かかった頭で状況を分析する。
ちょっと待て、これはチェーンだ。なぜ室内に誰もいないはずなのにこれが掛かっている?
じゃあこの部屋は別人のものか。いやそれだったら鍵が開くはずがない。
そもそも鍵穴に入っても回らないだろうし。
そんな安い鍵だったか、ここのは。
ぐるぐるとまとまらない思考のまま部屋番号を確認するが、間違いなく同じ番号だ。
一体なんで、と思っていたら、中から軽やかな足音。
「はーい、今開けるわ」
「・・・?!」
一度扉が閉じて、チェーンを外し、扉が大きく開かれる。
「お帰りなさい」
そこには見た事のない女が立っていた。茶色い髪はボブカット、青い瞳、抜けるような白い肌。
道を歩けば誰もが振り返る程の美人。
「お腹空いたでしょう? ご飯すぐ用意するね」
「・・・オイ」
不審者に対して唸るヒル魔に、彼女は全く構わず勝手知った様子で台所へ向かっていく。
「先に着替えた方がいいんじゃない?」
「その前に、話があると思うんだが」
「え? じゃあご飯よそっちゃうわね」
「人の話を聞け!」
かみ合わない会話。どうにか話をしようとしているのに、女はさくさく食事の用意をすると、ダイニングテーブルの上に料理を並べた。
「どうぞ、召し上がれ!」
「・・・」
見た目にも旨そうな料理の数々に、峠を越えたとばかり思っていた空腹が戻ってくる。
いかにも怪しい存在の女が作ったとおぼしき料理。
口にしていいのかどうか迷ったが、ヒル魔はあっさり食欲に負けた。
疲れてるからだ、という言い訳を自分にしながら。
「いただきますって言わないの?」
「煩ェ」
女の言葉に短く返し、ヒル魔は箸を進める。見た目の通り、料理はとても旨かった。
時間帯も忘れて、ヒル魔は黙々と出された食事を食べ終えてしまう。
空腹が癒えると、ちょっと考えに余裕が出てきた。どうぞ、と女はコーヒーを持ってくる。
口を付けると、それはヒル魔好みの濃い味だった。
「落ち着いた? じゃあ、お話ししましょうか」
にこにこと女は笑っている。邪気は感じない。
「・・・テメェは何モンだ」
「私は猫よ」
「ア?」
「恩返しに来たの」
「アァ?!」
混乱するヒル魔に、彼女はにっこりと笑っていった。
「私、栗田さんに助けて貰った猫よ。恩返しがしたいって言ったら、貴方の所に行って欲しいってお願いされたの」
「・・・・・・精神病院は救急車を呼べば連れて行くのか? それとも警察・・・」
にわかには信じがたい、どころか全く信じられない。ヒル魔は彼にしては珍しく動揺して携帯を出そうとするが。
「違います! ちゃんとお願いされたの! 貴方の面倒を見て欲しいって!」
「・・・・・・」
思い返せば残業中、コーヒー飲みながらそんな話もしてたな、そういえば。
全然信じられないが、言われれば栗田が言っていた色彩と目の前の女の色は似通っている。
「アー・・・悪ィがこの家には金目のモンとかはねぇぞ」
「ナニソレ!? お金なんていりません! 私は栗田さんへの恩返しをしたいの!」
「じゃあ糞デブの所に行け。俺はもう寝る」
ヒル魔の眠気は限界だった。コーヒー一杯じゃ眠気を払うには到底足りない。
そのままふらふらと寝室に行こうとしたが、女が慌てて立ち上がって着いてきた。
「ああもう、寝る前に歯を磨いて! そう、ちゃんと着替えて!」
ぱたぱたと世話を焼く自称猫が煩いが、それを振り払う気力もない。
言われるがままに歯を磨き、顔を洗って着替えて布団に入る。
布団は日の匂いがした。干す暇がないから、随分と久しぶりなそれが眠りを更に誘う。
「とりあえず、また明日お話ししましょ」
「アー・・・」
半ば寝ぼけてヒル魔はそれに頷く。
満足したように女はくすくすと笑ってお休みなさいと告げると、寝室を後にした。
アイツどこで眠るんだろう、そんな事を考えながら、俺はすぐ眠りの淵へと誘われた。
「おはよう!!」
「・・・?!」
ヒル魔はがばりと飛び起きる。
目の前に笑顔で立っている女は、昨日の夜不法侵入してきたヤツだ。夢かと思っていたのに。
時計を見ると、いつも起床する時刻より一時間は早い。けれど目覚めは快適で、寝不足という感じがない。
「朝ご飯出来てるわ。顔を洗って来てね」
ヒル魔は狐に摘まれたような気分で洗面所に赴く。なんでこんなに馴染んでるんだ、あの女。
ふと洗面所を見れば、そこは綺麗に掃除されていた。
今まで構う暇がなかったので、全く掃除などもせず、汚れ放題だったはずなのに。
身繕いをしてリビングへと戻れば、テーブルには湯気の立った朝食が載っている。
だが一人分だ。
「オイ、テメェの分は?」
「私? 私はいらないわ」
「一人で喰わせる気か。テメェも喰え」
「・・・うん」
嬉しそうにへらりと笑う女はいそいそと自分の分の食器を並べ始める。
とりあえず向かい合って食事を摂り、コーヒーを飲みながら俺は口を開いた。
「で? テメェはなんだって?」
「だから、猫よ」
「・・・本気で頭おかしいのか」
「信じてよ」
「信じろっつー方が無理だ」
むう、とむくれる自称猫な女はちろりとヒル魔を上目遣いで見上げる。
「・・・じゃあ私が猫じゃないとしましょう。年頃の女がどうやったか貴方の部屋に勝手にドアを開けて勝手に入り込んで勝手に掃除洗濯炊事をしています」
「おお、そうだな」
「それで貴方に不都合がある?」
「・・・・・・」
思わず黙りこくってしまった。そう、目が覚めてから気が付いたが、どこもかしこもぴかぴかに掃除されていて、ヒル魔は今朝になって初めてあのレースのカーテンは白が元の色だったのかと知ったくらいなのだ。物が散らかっていない床を見たのも久しぶりだし、目が覚めて何かを蹴飛ばして二次災害どころか三次災害以上を巻き起こさなかったのも初めてだ。
食事は間違いなく旨いし、コーヒーの味もヒル魔好み。
朝日の中で見る女は間違いなく美人の類に当てはまるし、スタイルだっていい。
観賞用としては申し分ないだろう。さすがにこんな怪しい女を抱く気にはならないが。
新手の泥棒にしてはサービスが良すぎる気がした。
「だからいいじゃない。大人しく恩返しされてちょうだい?」
「なんか気に喰わねぇな、ソレ」
それでも素直に認める気にはならないが、確かにいてくれたら便利なのは間違いない。
「お願いします」
ぺこ、と頭を下げられて、ヒル魔は嘆息する。
ここまで好条件で、仕方ない、というポーズを作るきっかけまで出されては断りようもない。
「・・・気が済んだら出て行けよ」
その言葉に彼女はぱっと顔を明るくする。
「ありがとう!」
「それと、名前」
「え?」
「名前、なんて言うんだ?」
まさか名無しじゃないだろうな、という視線に彼女はへらりと笑み崩れた。
「うん・・・あのね、『まもり』っていうの」
「ホー」
それに思い当たる名前は咄嗟に出てこないが、この名前は偽名ではないだろうという妙な確信があった。
彼は残っていたコーヒーを飲み干すと立ち上がる。さっと近寄ってまもりはそのジャケットを持つ。
なんだか一昔前の親父みたいだな、と思いながらジャケットに袖を通すと、まもりは鞄を持ってついてきた。
玄関まで見送るつもりらしい。
「いってらっしゃい! 車に気を付けてね!」
「・・・ああ」
なんだか照れくさくて、ヒル魔はぶっきらぼうに答える。
それでも嬉しそうに見送ったまもりは、ヒル魔が見えなくなるまで見送ってから室内に戻った。
それから、ヒル魔の生活は一変した。
今まで人としてギリギリの生活をしていた彼の事を、同じ課の者たちはとても心配していたのだが、その彼の様子が変わってきたのだ。彼の顔色が良くなったのも周囲はちゃんと気づいてそれを喜んでいた。
セナが顔をほころばせて尋ねる。
「ヒル魔さん、彼女出来たんですか?」
「ア?」
「だってそれ、手作りのお弁当ですよね?」
ヒル魔が自席で箸を付けているのはまもりが作ったお弁当だ。初日はなかったが、二日目からしっかり持たされるようになった。誰が食べるか恥ずかしい、せっかく作ったんだから食べて欲しいの、という押し問答を玄関先で繰り広げ、結局押し負けたのだ。ヒル魔を知る人物ならその様子を見たら絶対目を疑うだろう。
「サアネ」
さらりと流してヒル魔は卵焼きを口に放り込む。それはふんわりと柔らかく、塩味が効いている。
彼女が作る料理は当初から旨かったが、ここのところは味付けがよりヒル魔の好みに近くなっている気がする。口に出して味の好みを聞かれた覚えがないから、まもりはヒル魔の食事を注意深く見て、こっそりと研究しているようだ。
そこにひょっこりと鈴音が顔を出す。
「ヤー、それに妖兄のシャツ、クリーニングじゃなくてアイロンで掛けてるよね! 凄く上手だけど、やっぱりクリーニングのとは違うよね!」
「・・・ホー」
そういうものなのか、とヒル魔は自分のシャツを見る。いつも適当に溜まったらクリーニングに出していたから、違いがあるとは知らなかった。
「どんな人なんですか?」
「人じゃねぇな」
「えー!? ここでその台詞はないよー」
わーわー言う鈴音にちらりと視線を向ける。
「茶虎で碧眼の猫ならいるぜ」
「「猫?」」
首を傾げる二人を横目に、ヒル魔は食べ終わった弁当箱を鞄に放り込む。
コーヒーを飲むべく、給湯室へと向かった。
その後にセナが続く。
「僕淹れますよ。ブラックですよね?」
「おー」
セナがカップを寄越す。
それに口を付け、ヒル魔はまもりが淹れた方が旨いな、と何気なく考えてしまって眉間に皺を寄せた。
しっかりと胃袋を掴まれてる気がしてならない。どんなに遅く帰ってもまもりは起きて待っているし、旨い食事は出てくるし、快適な生活が送れているが、そもそもアイツの目的はなんなんだろう、と今更ながら考えてしまう。
「ヒル魔さんは猫飼ってるんですか?」
「アー」
一応自称猫だしな、と頷く。
「猫って色々食べたがりますけど、ヒル魔さん家の子はどうです? 僕の家にもピットっていう猫がいるんですけど、甘いモノ好きなんですよ」
「・・・ホー?」
「太っちゃうから滅多にあげないんですけど、たまにあげると喜ぶんです」
「フーン」
ヒル魔は興味なさそうにコーヒーを飲み干すと、自席へと戻る。
その姿を気遣わしげに眺める彼には気づかないままに。
「お帰りなさい!」
「・・・タダイマ」
しばらく共に生活するうちに、まもりが挨拶しようよ、一人じゃなくて今は二人なんだよ、と何度も言って煩かったので、ヒル魔は根負けする形で挨拶をするようになった。そうするとまもりが嬉しそうに笑うのに気が付いてからは、それも苦ではなくなってしまった。
毒されてるな、とヒル魔は自嘲する。
こいつが自称恩返しを終えて気が済んだら、いつか出て行くのだろうに。
「どうしたの?」
じっと玄関で動かないヒル魔に、まもりが不思議そうに尋ねる。
「テメェ、甘いモノは喰うのか?」
「え?! あ、うん、その、ええとね、あの・・・」
途端に挙動不審になるまもりに、コイツは筋金入りの甘いもの好きなのだな、と見当を付ける。
「ホレ」
「え・・・」
「言っておくが俺は喰わねぇ。全部喰えよ」
渡されたケーキの箱にはショートケーキとチョコレートケーキが一つずつ。
どんな顔をして買ったのだろうか、と思うとまもりの顔がへらりと崩れる。
「・・・安い女だな」
「猫だもん」
にこにこと笑うまもりの切り返しに肩をすくめ、ヒル魔は着替えるのを理由に寝室へと引っ込んだ。
本当は、その笑顔をちゃんと直視できなかったから。
・・・そろそろちゃんと調べないといけないな、と改めて思いながら。
そうして調べ上げた事実に、ヒル魔はしばし考え込み。
その日ヒル魔は久しぶりに定時近くに上がった。
「え?! はーい、今日は早かったのね!」
まもりが笑顔で玄関まで迎えに来る。いつものように、ヒル魔の鞄を受け取ってお帰りなさいを言うために。
しかしヒル魔はまもりの顔を見ても身じろぎ一つしなかった。きょとんとするまもりに、低い声が掛かる。
「・・・テメェ、なんのつもりだ」
それは再三彼女に問いかけられた言葉。けれど今までとは違う響きを伴ってまもりに突きつけられる。
「これはお嬢様の暇つぶしか? 姉崎まもり?」
「っ!!」
「泥門デビルバッツカンパニー社長の一人娘がこんなところで何やってやがる」
まもりは目を見開き、唇を震わせる。
「入れ」
ぐい、と片手で奥に進むよう指示する。まもりは青ざめた顔でその通りにリビングへ戻った。
「座れ」
「・・・」
ダイニングテーブルのいつもの位置に座るまもりの前に、ヒル魔も乱暴に腰掛ける。
その音にさえまもりはびくりと肩を震わせた。
まるで判決を待つ罪人のような有様だ。
「一体、どういうつもりでここに来たんだ?」
「・・・だから、恩返し、よ」
途端に拳がテーブルに叩きつけられる。それにまもりは激しく身体を震わせた。
「冗談はもういい。事実を聞いてるんだ、俺は」
温度のない低い声に、まもりはかたかたと震える。青い目から涙があふれ出し、幾筋も頬を伝った。
「泣いても理由はわからねぇな」
「・・・ッ」
まもりはくしゃりと顔を歪め、俯く。
「ご・・・めんなさい・・・」
「ホー? 謝るような事をしてたわけだ、テメェは」
「ち・・・がう・・・」
「じゃあ何してたんだ、テメェは?」
「私・・・本当に・・・恩返しが、したかったの・・・」
まもりはぎゅっとエプロンの裾を握って切れ切れに言葉を紡ぐ。
「去年の・・・春、に・・・私、用事があって父の所に行って、戻る途中に迷っちゃって・・・」
「自分の父親の会社なのにか」
「・・・・・・来た事、なかったの・・・そしたら変な人に絡まれちゃって・・・」
なんで女子高生がこんなところに、と大声で騒ぐ男。
在職年数は長いが、万年ヒラの、いわゆる窓際族。そのくせごますりだけが上手だという質の悪い男。
たまたま通りかかった彼に捕まったまもりは、それこそ自分の父の名を口に出せばよかったのだが、多忙な父親に迷惑が掛かると思うとそれもできず、ただ困り果てていたのだ。
それを偶然助けたのがヒル魔だった。
『おーおー何やってやがるこの糞ハゲデブ』
『!!』
『こんなところで女子高生に絡むなんざよっぽど自分の首が惜しくないみてぇだな?』
男は泡を食って逃げ出す。それをくだらなそうに見た後、呆然とするまもりを立ち上がらせた。
『どこに行くつもりだったんだ?』
『あの・・・外に・・・』
『外?』
さして広くないフロアで、しかもエレベーターなんて中心に位置すると子供でも判るだろうに、と呆れながらヒル魔はまもりをエレベーターホールに送っていったのだ。
その時、まもりはヒル魔に恋をしたのだ。
「ヒル魔さんの事は、ずっとお父さんから聞いていて・・・すごく仕事の出来る人だって」
「ホー」
「だからすぐにヒル魔さんだって判ったんだけど、あの時は御礼も言えなくて・・・」
ありがとうございました、とまもりは頭を下げる。
「本当は後で日を改めて御礼を言いに会いに行くつもりだったんだけど、女子高生じゃその後、相手にして貰えないって、思って」
「アー、確かにガキは願い下げだな」
きゅ、とまもりは唇を咬んだ。
自分ばかりがヒル魔への思いを募らせて、けれど子供だと思われるのが嫌で、大学に合格した時から大人の女に見えるようにと色々と研究したのだ。
「あの時は黒髪のお下げに校則通りの制服で、どこの時代の学生だ、と思ったな」
「え・・・」
まもりは思わず顔を上げる。
そこにいたヒル魔は、怒っているどころか、むしろ楽しげににやにやと笑っていた。
「それにしても、一年で随分化けたもんだ」
「覚えて・・・?」
「あの社屋で女子高生がウロウロしてんの見たのはあれきりだからな、インパクト強かったぜ」
だが、とヒル魔はまもりを一瞥する。
「色合いが全然違うから、最初は全然気づかなかったな」
「こっちが地毛なの。目も、そう。学校が煩かったから、高校はずっと染めて、目はカラーコンタクトだったわ」
ナルホド、とヒル魔は納得する。制服姿の時妙に肌が白いと思ったのは間違いではなかったのだ。
漆黒の髪と瞳との落差が激しくて、あの時のまもりの姿はヒル魔の印象に未だにハッキリと残っている。
「・・・怒ってないの?」
先ほどのぴりぴりした雰囲気を払拭したヒル魔に、まもりは首を傾げる。
「ア? 別に。怒るなら糞デブと糞チビの二人に、だな」
その言葉にまもりはびくっと肩を震わせた。
何もかももばれているのだ、と改めて目の前の男が持つ情報網のすごさを思い知る。
まもりがヒル魔に恋をしてから、まず始めたのは情報収集だった。社屋に入るのはもうこりごりだったので、父親同士の繋がりがあった栗田に相談する事に決めた。彼はヒル魔の友人でもあったため、とても親身になって相談に乗ってくれた。・・・当初は相当驚いていたようだけれど。
聞くうちに彼は一人暮らしで現在彼女もなく、ワークホリックでそのうち死ぬんじゃないかと思う、と散々な状態である事も知った。情報通で、とんでもなく人脈が広いとも。
まもりが彼に出来る事は何か。そう考えたとき、家事をしてくれたらヒル魔は喜ぶんじゃないかなあ、という栗田の一言で今回の計画は決定した。元よりまもりはお嬢様という生まれの割に家事全般を得意としていたが、更に特訓して腕を上げ、外見も子供っぽくならないように研究した。
そしてヒル魔の自宅にこっそり入り込もうと決めた日。
セナが管理会社にヒル魔から依頼されたから、と告げて鍵を開けさせ、忘れ物を取りに行くふりをしてまもりを中に招き入れたのだ。その日、同じフロアで休んだのはセナ一人だけだったから、推測は容易い。
実際に管理会社に問い合わせば彼の名がやはり出てきた。
「あの忙しい日に休んだ糞チビと、余計な入れ知恵しやがった糞デブにゃそれなりの対応をしてもらった」
「そ、そんな・・・」
自分のせいで、と青くなるまもりに、ヒル魔はふん、と鼻を鳴らした。
「今日の定時で上がるために、仕事を押しつけてきた」
あいつら今頃ひぃひぃ言って作業してるぜザマーミロ、とヒル魔はケケケと笑う。
それにしても、とヒル魔は改めてまもりをじろじろと無遠慮に眺めた。
「まさか十九だったとはな。テメェ俺と十歳も離れてるんだぜ?」
何を好きこのんでこんなオヤジの所に単身乗り込んでくるんだか、と呆れた口調で言われてまもりは怒る。
「そんな!! ヒル魔さんがオヤジだなんて思ってないもん!!」
「テメェらの年から見たらそうだろ」
「違いますッ!!」
まもりはムキになって否定して、それから動きを止めた。ヒル魔が優しくまもりの頭を撫でたから。
「まもり、家に帰れ」
「・・・!!」
やっと名を呼ばれたと思ったのに。
その優しい仕草とは裏腹に別れを言い渡されて、まもりは息を呑むが、ヒル魔は続けた。
「今のままダラダラ続けないで、一度ちゃんと立場を戻して、今度は猫なんかじゃなく人としで話を進める方が、こっちも都合がいい」
「それって・・・」
ヒル魔は若干逡巡しながらも口を開く。
「・・・正直、テメェが最初自室にいたときはなんの罰ゲームかと思った。女なんてしばらく近くに置かなかったし、自宅に入れたこともなかったしな」
「・・・?」
「だが、いてくれて助かったのは事実だ。飯も旨かったしな」
まもりの目からまた涙が溢れる。
いつもちゃんと食べてはくれていたけど、口に出して感想を貰ったのは今が初めてなのだ。
努力は無駄じゃなかったのだと判って、まもりはうれし涙をほろりと零す。
「帰ってからも、また遊びに来ていい?」
「むしろ飯作りに来い」
傲慢な命令のようなのに、それはまもりの耳には甘美に響く。
「お前の当初の狙い通りになるんじゃねぇか?」
にやりと笑うヒル魔の顔が、幽かに赤い。それは照れているときの顔だと、もうまもりにも判る。
「顔洗って荷物纏めろ。送ってやる」
「え・・・もう?」
「その前に食事する時間くらいはあるだろ。たまには外で喰わせてやるよ」
勿論デザートの美味しいレストランでな、そう言われてまもりはへらりと笑った。
そうして、茶虎で碧眼の猫が正式にヒル魔の住まいに住み着くようになるのは、また少しだけ先の話。
***
ルカ様リクエスト『他人の事には何でも鋭いが、自分の恋愛の事については、限りなく鈍く天然な蛭魔と、一生懸命蛭魔を振り向かそうとするまもりと、そんなまもりが可哀想に思えてしまうデビルバッツメンバー、みたいな話』でした。楽しく書かせて頂きました♪
リクエストありがとうございましたー!!
ルカ様のみお持ち帰り可。
以下返信です。反転してお読み下さい。
ちょっとパロディの話で書きたいと思ったシチュエーション混ぜちゃったのでご希望通りではなくてすみません(苦笑)。デビルバッツメンバーも少ないし。普通こんなシチュエーションで女の子が家にいたら襲うだろうに、そういう方面に持っていかないあたりに鈍く天然なヒル魔さんにしてみました。ただの仕事バカでもあるようですが。
ヒル魔が書類を纏めていると、背後から聞き慣れた足音がした。
振り返るとコーヒーを片手に栗田がにこにこと笑っている。
「お疲れ様。これどうぞ」
「サンキュ」
ヒル魔はありがたくソレを受け取ると口を付ける。
パソコン画面を凝視しすぎたせいでやや頭が痛いのが緩和されるようだ。
「最近、根詰めてるね」
「正念場だからな」
山積みになった企画書。その成功はヒル魔の腕に掛かっていると言ってもいいほどの事務量。
実際に表に出る事はないポジションだが、あらゆる業務のサポートの位置にいると言っても過言ではないほど彼は働いている。
「ねえ、そういえばさ。こないだ猫助けたんだ」
「ア?」
唐突な話題に、ヒル魔は眉を寄せる。
「茶虎で青い目の、すごく可愛い猫でね。歩き方がおかしかったから見てあげたら、足に棘が刺さってて。抜いてあげたら嬉しそうに鳴いたんだ」
「ホー。恩返しでも期待してるのか」
くだらない、と顔に書いてヒル魔は適当な相槌を打つ。
「うん。それでね」
栗田はにこりと笑って頷く。
「恩返しするなら、ヒル魔の所に行ってくれたら嬉しいって言っておいたんだ」
「アァ?」
「だって僕は実家だけど、ヒル魔一人暮らしでしょ。猫が恩返しに来てくれたら嬉しくない?」
「嬉しくねぇよ。なんで猫の面倒見なきゃなんねぇんだ」
訝しげなヒル魔に、栗田は首を振る。
「違うよー、ヒル魔の面倒をお願いしたいって言ったんだから、ヒル魔の面倒を見てくれるんだよ?」
「アーはいはい、来てくれたら楽だろうナァ」
なにせしがない独身男性、仕事三昧の生活でヒル魔の周囲に女の影はなく、そんな気にもならないというのが現状なのだ。寂しいヤツだな、と既に所帯持ちの友人には言われた事があるが、それは個人の感想であって自分がそう思わないのだから別にいいのだ。
栗田の言葉を適当に肯定し、ヒル魔は休憩を終えて仕事に戻る。
そんな彼の背中をじっと見た栗田は、ちょっとため息をついて自席へと戻ったのだった。
結局ヒル魔が会社を出たのは0時過ぎだった。基本的に9時を過ぎるとフロアの照明は全て落とされてしまうのだが、ヒル魔だけはそのような目に遭わないことになっている。
空腹のピークも過ぎ、結局何も食べず寝てしまうのだろうな、と自分を分析する。家に食べるものがあれば別だが、ここのところ忙しくてインスタント食品の買い出しすら行けていない。
いずれ過労死しちゃいますよ、というかつての同級生で今は医者の言葉を思い出す。
だがそれはそれでいい。刹那主義と言われたらそれまでだが、今はヒル魔にとって仕事が全てなのだ。
疲れた身体を引きずって、ヒル魔は自宅に帰る。
ごく一般的な1LDKのマンションは会社が社宅用に丸ごと借りている建物だ。
通勤も便利だし家賃も安いので、ヒル魔がここに住処を構えてからもうかなり経った。
その鍵を開こうと鍵穴にキーを差し入れ、ドアノブを引いて。
ガチャン。
・・・あり得ない抵抗に、ヒル魔は半ば寝かかった頭で状況を分析する。
ちょっと待て、これはチェーンだ。なぜ室内に誰もいないはずなのにこれが掛かっている?
じゃあこの部屋は別人のものか。いやそれだったら鍵が開くはずがない。
そもそも鍵穴に入っても回らないだろうし。
そんな安い鍵だったか、ここのは。
ぐるぐるとまとまらない思考のまま部屋番号を確認するが、間違いなく同じ番号だ。
一体なんで、と思っていたら、中から軽やかな足音。
「はーい、今開けるわ」
「・・・?!」
一度扉が閉じて、チェーンを外し、扉が大きく開かれる。
「お帰りなさい」
そこには見た事のない女が立っていた。茶色い髪はボブカット、青い瞳、抜けるような白い肌。
道を歩けば誰もが振り返る程の美人。
「お腹空いたでしょう? ご飯すぐ用意するね」
「・・・オイ」
不審者に対して唸るヒル魔に、彼女は全く構わず勝手知った様子で台所へ向かっていく。
「先に着替えた方がいいんじゃない?」
「その前に、話があると思うんだが」
「え? じゃあご飯よそっちゃうわね」
「人の話を聞け!」
かみ合わない会話。どうにか話をしようとしているのに、女はさくさく食事の用意をすると、ダイニングテーブルの上に料理を並べた。
「どうぞ、召し上がれ!」
「・・・」
見た目にも旨そうな料理の数々に、峠を越えたとばかり思っていた空腹が戻ってくる。
いかにも怪しい存在の女が作ったとおぼしき料理。
口にしていいのかどうか迷ったが、ヒル魔はあっさり食欲に負けた。
疲れてるからだ、という言い訳を自分にしながら。
「いただきますって言わないの?」
「煩ェ」
女の言葉に短く返し、ヒル魔は箸を進める。見た目の通り、料理はとても旨かった。
時間帯も忘れて、ヒル魔は黙々と出された食事を食べ終えてしまう。
空腹が癒えると、ちょっと考えに余裕が出てきた。どうぞ、と女はコーヒーを持ってくる。
口を付けると、それはヒル魔好みの濃い味だった。
「落ち着いた? じゃあ、お話ししましょうか」
にこにこと女は笑っている。邪気は感じない。
「・・・テメェは何モンだ」
「私は猫よ」
「ア?」
「恩返しに来たの」
「アァ?!」
混乱するヒル魔に、彼女はにっこりと笑っていった。
「私、栗田さんに助けて貰った猫よ。恩返しがしたいって言ったら、貴方の所に行って欲しいってお願いされたの」
「・・・・・・精神病院は救急車を呼べば連れて行くのか? それとも警察・・・」
にわかには信じがたい、どころか全く信じられない。ヒル魔は彼にしては珍しく動揺して携帯を出そうとするが。
「違います! ちゃんとお願いされたの! 貴方の面倒を見て欲しいって!」
「・・・・・・」
思い返せば残業中、コーヒー飲みながらそんな話もしてたな、そういえば。
全然信じられないが、言われれば栗田が言っていた色彩と目の前の女の色は似通っている。
「アー・・・悪ィがこの家には金目のモンとかはねぇぞ」
「ナニソレ!? お金なんていりません! 私は栗田さんへの恩返しをしたいの!」
「じゃあ糞デブの所に行け。俺はもう寝る」
ヒル魔の眠気は限界だった。コーヒー一杯じゃ眠気を払うには到底足りない。
そのままふらふらと寝室に行こうとしたが、女が慌てて立ち上がって着いてきた。
「ああもう、寝る前に歯を磨いて! そう、ちゃんと着替えて!」
ぱたぱたと世話を焼く自称猫が煩いが、それを振り払う気力もない。
言われるがままに歯を磨き、顔を洗って着替えて布団に入る。
布団は日の匂いがした。干す暇がないから、随分と久しぶりなそれが眠りを更に誘う。
「とりあえず、また明日お話ししましょ」
「アー・・・」
半ば寝ぼけてヒル魔はそれに頷く。
満足したように女はくすくすと笑ってお休みなさいと告げると、寝室を後にした。
アイツどこで眠るんだろう、そんな事を考えながら、俺はすぐ眠りの淵へと誘われた。
「おはよう!!」
「・・・?!」
ヒル魔はがばりと飛び起きる。
目の前に笑顔で立っている女は、昨日の夜不法侵入してきたヤツだ。夢かと思っていたのに。
時計を見ると、いつも起床する時刻より一時間は早い。けれど目覚めは快適で、寝不足という感じがない。
「朝ご飯出来てるわ。顔を洗って来てね」
ヒル魔は狐に摘まれたような気分で洗面所に赴く。なんでこんなに馴染んでるんだ、あの女。
ふと洗面所を見れば、そこは綺麗に掃除されていた。
今まで構う暇がなかったので、全く掃除などもせず、汚れ放題だったはずなのに。
身繕いをしてリビングへと戻れば、テーブルには湯気の立った朝食が載っている。
だが一人分だ。
「オイ、テメェの分は?」
「私? 私はいらないわ」
「一人で喰わせる気か。テメェも喰え」
「・・・うん」
嬉しそうにへらりと笑う女はいそいそと自分の分の食器を並べ始める。
とりあえず向かい合って食事を摂り、コーヒーを飲みながら俺は口を開いた。
「で? テメェはなんだって?」
「だから、猫よ」
「・・・本気で頭おかしいのか」
「信じてよ」
「信じろっつー方が無理だ」
むう、とむくれる自称猫な女はちろりとヒル魔を上目遣いで見上げる。
「・・・じゃあ私が猫じゃないとしましょう。年頃の女がどうやったか貴方の部屋に勝手にドアを開けて勝手に入り込んで勝手に掃除洗濯炊事をしています」
「おお、そうだな」
「それで貴方に不都合がある?」
「・・・・・・」
思わず黙りこくってしまった。そう、目が覚めてから気が付いたが、どこもかしこもぴかぴかに掃除されていて、ヒル魔は今朝になって初めてあのレースのカーテンは白が元の色だったのかと知ったくらいなのだ。物が散らかっていない床を見たのも久しぶりだし、目が覚めて何かを蹴飛ばして二次災害どころか三次災害以上を巻き起こさなかったのも初めてだ。
食事は間違いなく旨いし、コーヒーの味もヒル魔好み。
朝日の中で見る女は間違いなく美人の類に当てはまるし、スタイルだっていい。
観賞用としては申し分ないだろう。さすがにこんな怪しい女を抱く気にはならないが。
新手の泥棒にしてはサービスが良すぎる気がした。
「だからいいじゃない。大人しく恩返しされてちょうだい?」
「なんか気に喰わねぇな、ソレ」
それでも素直に認める気にはならないが、確かにいてくれたら便利なのは間違いない。
「お願いします」
ぺこ、と頭を下げられて、ヒル魔は嘆息する。
ここまで好条件で、仕方ない、というポーズを作るきっかけまで出されては断りようもない。
「・・・気が済んだら出て行けよ」
その言葉に彼女はぱっと顔を明るくする。
「ありがとう!」
「それと、名前」
「え?」
「名前、なんて言うんだ?」
まさか名無しじゃないだろうな、という視線に彼女はへらりと笑み崩れた。
「うん・・・あのね、『まもり』っていうの」
「ホー」
それに思い当たる名前は咄嗟に出てこないが、この名前は偽名ではないだろうという妙な確信があった。
彼は残っていたコーヒーを飲み干すと立ち上がる。さっと近寄ってまもりはそのジャケットを持つ。
なんだか一昔前の親父みたいだな、と思いながらジャケットに袖を通すと、まもりは鞄を持ってついてきた。
玄関まで見送るつもりらしい。
「いってらっしゃい! 車に気を付けてね!」
「・・・ああ」
なんだか照れくさくて、ヒル魔はぶっきらぼうに答える。
それでも嬉しそうに見送ったまもりは、ヒル魔が見えなくなるまで見送ってから室内に戻った。
それから、ヒル魔の生活は一変した。
今まで人としてギリギリの生活をしていた彼の事を、同じ課の者たちはとても心配していたのだが、その彼の様子が変わってきたのだ。彼の顔色が良くなったのも周囲はちゃんと気づいてそれを喜んでいた。
セナが顔をほころばせて尋ねる。
「ヒル魔さん、彼女出来たんですか?」
「ア?」
「だってそれ、手作りのお弁当ですよね?」
ヒル魔が自席で箸を付けているのはまもりが作ったお弁当だ。初日はなかったが、二日目からしっかり持たされるようになった。誰が食べるか恥ずかしい、せっかく作ったんだから食べて欲しいの、という押し問答を玄関先で繰り広げ、結局押し負けたのだ。ヒル魔を知る人物ならその様子を見たら絶対目を疑うだろう。
「サアネ」
さらりと流してヒル魔は卵焼きを口に放り込む。それはふんわりと柔らかく、塩味が効いている。
彼女が作る料理は当初から旨かったが、ここのところは味付けがよりヒル魔の好みに近くなっている気がする。口に出して味の好みを聞かれた覚えがないから、まもりはヒル魔の食事を注意深く見て、こっそりと研究しているようだ。
そこにひょっこりと鈴音が顔を出す。
「ヤー、それに妖兄のシャツ、クリーニングじゃなくてアイロンで掛けてるよね! 凄く上手だけど、やっぱりクリーニングのとは違うよね!」
「・・・ホー」
そういうものなのか、とヒル魔は自分のシャツを見る。いつも適当に溜まったらクリーニングに出していたから、違いがあるとは知らなかった。
「どんな人なんですか?」
「人じゃねぇな」
「えー!? ここでその台詞はないよー」
わーわー言う鈴音にちらりと視線を向ける。
「茶虎で碧眼の猫ならいるぜ」
「「猫?」」
首を傾げる二人を横目に、ヒル魔は食べ終わった弁当箱を鞄に放り込む。
コーヒーを飲むべく、給湯室へと向かった。
その後にセナが続く。
「僕淹れますよ。ブラックですよね?」
「おー」
セナがカップを寄越す。
それに口を付け、ヒル魔はまもりが淹れた方が旨いな、と何気なく考えてしまって眉間に皺を寄せた。
しっかりと胃袋を掴まれてる気がしてならない。どんなに遅く帰ってもまもりは起きて待っているし、旨い食事は出てくるし、快適な生活が送れているが、そもそもアイツの目的はなんなんだろう、と今更ながら考えてしまう。
「ヒル魔さんは猫飼ってるんですか?」
「アー」
一応自称猫だしな、と頷く。
「猫って色々食べたがりますけど、ヒル魔さん家の子はどうです? 僕の家にもピットっていう猫がいるんですけど、甘いモノ好きなんですよ」
「・・・ホー?」
「太っちゃうから滅多にあげないんですけど、たまにあげると喜ぶんです」
「フーン」
ヒル魔は興味なさそうにコーヒーを飲み干すと、自席へと戻る。
その姿を気遣わしげに眺める彼には気づかないままに。
「お帰りなさい!」
「・・・タダイマ」
しばらく共に生活するうちに、まもりが挨拶しようよ、一人じゃなくて今は二人なんだよ、と何度も言って煩かったので、ヒル魔は根負けする形で挨拶をするようになった。そうするとまもりが嬉しそうに笑うのに気が付いてからは、それも苦ではなくなってしまった。
毒されてるな、とヒル魔は自嘲する。
こいつが自称恩返しを終えて気が済んだら、いつか出て行くのだろうに。
「どうしたの?」
じっと玄関で動かないヒル魔に、まもりが不思議そうに尋ねる。
「テメェ、甘いモノは喰うのか?」
「え?! あ、うん、その、ええとね、あの・・・」
途端に挙動不審になるまもりに、コイツは筋金入りの甘いもの好きなのだな、と見当を付ける。
「ホレ」
「え・・・」
「言っておくが俺は喰わねぇ。全部喰えよ」
渡されたケーキの箱にはショートケーキとチョコレートケーキが一つずつ。
どんな顔をして買ったのだろうか、と思うとまもりの顔がへらりと崩れる。
「・・・安い女だな」
「猫だもん」
にこにこと笑うまもりの切り返しに肩をすくめ、ヒル魔は着替えるのを理由に寝室へと引っ込んだ。
本当は、その笑顔をちゃんと直視できなかったから。
・・・そろそろちゃんと調べないといけないな、と改めて思いながら。
そうして調べ上げた事実に、ヒル魔はしばし考え込み。
その日ヒル魔は久しぶりに定時近くに上がった。
「え?! はーい、今日は早かったのね!」
まもりが笑顔で玄関まで迎えに来る。いつものように、ヒル魔の鞄を受け取ってお帰りなさいを言うために。
しかしヒル魔はまもりの顔を見ても身じろぎ一つしなかった。きょとんとするまもりに、低い声が掛かる。
「・・・テメェ、なんのつもりだ」
それは再三彼女に問いかけられた言葉。けれど今までとは違う響きを伴ってまもりに突きつけられる。
「これはお嬢様の暇つぶしか? 姉崎まもり?」
「っ!!」
「泥門デビルバッツカンパニー社長の一人娘がこんなところで何やってやがる」
まもりは目を見開き、唇を震わせる。
「入れ」
ぐい、と片手で奥に進むよう指示する。まもりは青ざめた顔でその通りにリビングへ戻った。
「座れ」
「・・・」
ダイニングテーブルのいつもの位置に座るまもりの前に、ヒル魔も乱暴に腰掛ける。
その音にさえまもりはびくりと肩を震わせた。
まるで判決を待つ罪人のような有様だ。
「一体、どういうつもりでここに来たんだ?」
「・・・だから、恩返し、よ」
途端に拳がテーブルに叩きつけられる。それにまもりは激しく身体を震わせた。
「冗談はもういい。事実を聞いてるんだ、俺は」
温度のない低い声に、まもりはかたかたと震える。青い目から涙があふれ出し、幾筋も頬を伝った。
「泣いても理由はわからねぇな」
「・・・ッ」
まもりはくしゃりと顔を歪め、俯く。
「ご・・・めんなさい・・・」
「ホー? 謝るような事をしてたわけだ、テメェは」
「ち・・・がう・・・」
「じゃあ何してたんだ、テメェは?」
「私・・・本当に・・・恩返しが、したかったの・・・」
まもりはぎゅっとエプロンの裾を握って切れ切れに言葉を紡ぐ。
「去年の・・・春、に・・・私、用事があって父の所に行って、戻る途中に迷っちゃって・・・」
「自分の父親の会社なのにか」
「・・・・・・来た事、なかったの・・・そしたら変な人に絡まれちゃって・・・」
なんで女子高生がこんなところに、と大声で騒ぐ男。
在職年数は長いが、万年ヒラの、いわゆる窓際族。そのくせごますりだけが上手だという質の悪い男。
たまたま通りかかった彼に捕まったまもりは、それこそ自分の父の名を口に出せばよかったのだが、多忙な父親に迷惑が掛かると思うとそれもできず、ただ困り果てていたのだ。
それを偶然助けたのがヒル魔だった。
『おーおー何やってやがるこの糞ハゲデブ』
『!!』
『こんなところで女子高生に絡むなんざよっぽど自分の首が惜しくないみてぇだな?』
男は泡を食って逃げ出す。それをくだらなそうに見た後、呆然とするまもりを立ち上がらせた。
『どこに行くつもりだったんだ?』
『あの・・・外に・・・』
『外?』
さして広くないフロアで、しかもエレベーターなんて中心に位置すると子供でも判るだろうに、と呆れながらヒル魔はまもりをエレベーターホールに送っていったのだ。
その時、まもりはヒル魔に恋をしたのだ。
「ヒル魔さんの事は、ずっとお父さんから聞いていて・・・すごく仕事の出来る人だって」
「ホー」
「だからすぐにヒル魔さんだって判ったんだけど、あの時は御礼も言えなくて・・・」
ありがとうございました、とまもりは頭を下げる。
「本当は後で日を改めて御礼を言いに会いに行くつもりだったんだけど、女子高生じゃその後、相手にして貰えないって、思って」
「アー、確かにガキは願い下げだな」
きゅ、とまもりは唇を咬んだ。
自分ばかりがヒル魔への思いを募らせて、けれど子供だと思われるのが嫌で、大学に合格した時から大人の女に見えるようにと色々と研究したのだ。
「あの時は黒髪のお下げに校則通りの制服で、どこの時代の学生だ、と思ったな」
「え・・・」
まもりは思わず顔を上げる。
そこにいたヒル魔は、怒っているどころか、むしろ楽しげににやにやと笑っていた。
「それにしても、一年で随分化けたもんだ」
「覚えて・・・?」
「あの社屋で女子高生がウロウロしてんの見たのはあれきりだからな、インパクト強かったぜ」
だが、とヒル魔はまもりを一瞥する。
「色合いが全然違うから、最初は全然気づかなかったな」
「こっちが地毛なの。目も、そう。学校が煩かったから、高校はずっと染めて、目はカラーコンタクトだったわ」
ナルホド、とヒル魔は納得する。制服姿の時妙に肌が白いと思ったのは間違いではなかったのだ。
漆黒の髪と瞳との落差が激しくて、あの時のまもりの姿はヒル魔の印象に未だにハッキリと残っている。
「・・・怒ってないの?」
先ほどのぴりぴりした雰囲気を払拭したヒル魔に、まもりは首を傾げる。
「ア? 別に。怒るなら糞デブと糞チビの二人に、だな」
その言葉にまもりはびくっと肩を震わせた。
何もかももばれているのだ、と改めて目の前の男が持つ情報網のすごさを思い知る。
まもりがヒル魔に恋をしてから、まず始めたのは情報収集だった。社屋に入るのはもうこりごりだったので、父親同士の繋がりがあった栗田に相談する事に決めた。彼はヒル魔の友人でもあったため、とても親身になって相談に乗ってくれた。・・・当初は相当驚いていたようだけれど。
聞くうちに彼は一人暮らしで現在彼女もなく、ワークホリックでそのうち死ぬんじゃないかと思う、と散々な状態である事も知った。情報通で、とんでもなく人脈が広いとも。
まもりが彼に出来る事は何か。そう考えたとき、家事をしてくれたらヒル魔は喜ぶんじゃないかなあ、という栗田の一言で今回の計画は決定した。元よりまもりはお嬢様という生まれの割に家事全般を得意としていたが、更に特訓して腕を上げ、外見も子供っぽくならないように研究した。
そしてヒル魔の自宅にこっそり入り込もうと決めた日。
セナが管理会社にヒル魔から依頼されたから、と告げて鍵を開けさせ、忘れ物を取りに行くふりをしてまもりを中に招き入れたのだ。その日、同じフロアで休んだのはセナ一人だけだったから、推測は容易い。
実際に管理会社に問い合わせば彼の名がやはり出てきた。
「あの忙しい日に休んだ糞チビと、余計な入れ知恵しやがった糞デブにゃそれなりの対応をしてもらった」
「そ、そんな・・・」
自分のせいで、と青くなるまもりに、ヒル魔はふん、と鼻を鳴らした。
「今日の定時で上がるために、仕事を押しつけてきた」
あいつら今頃ひぃひぃ言って作業してるぜザマーミロ、とヒル魔はケケケと笑う。
それにしても、とヒル魔は改めてまもりをじろじろと無遠慮に眺めた。
「まさか十九だったとはな。テメェ俺と十歳も離れてるんだぜ?」
何を好きこのんでこんなオヤジの所に単身乗り込んでくるんだか、と呆れた口調で言われてまもりは怒る。
「そんな!! ヒル魔さんがオヤジだなんて思ってないもん!!」
「テメェらの年から見たらそうだろ」
「違いますッ!!」
まもりはムキになって否定して、それから動きを止めた。ヒル魔が優しくまもりの頭を撫でたから。
「まもり、家に帰れ」
「・・・!!」
やっと名を呼ばれたと思ったのに。
その優しい仕草とは裏腹に別れを言い渡されて、まもりは息を呑むが、ヒル魔は続けた。
「今のままダラダラ続けないで、一度ちゃんと立場を戻して、今度は猫なんかじゃなく人としで話を進める方が、こっちも都合がいい」
「それって・・・」
ヒル魔は若干逡巡しながらも口を開く。
「・・・正直、テメェが最初自室にいたときはなんの罰ゲームかと思った。女なんてしばらく近くに置かなかったし、自宅に入れたこともなかったしな」
「・・・?」
「だが、いてくれて助かったのは事実だ。飯も旨かったしな」
まもりの目からまた涙が溢れる。
いつもちゃんと食べてはくれていたけど、口に出して感想を貰ったのは今が初めてなのだ。
努力は無駄じゃなかったのだと判って、まもりはうれし涙をほろりと零す。
「帰ってからも、また遊びに来ていい?」
「むしろ飯作りに来い」
傲慢な命令のようなのに、それはまもりの耳には甘美に響く。
「お前の当初の狙い通りになるんじゃねぇか?」
にやりと笑うヒル魔の顔が、幽かに赤い。それは照れているときの顔だと、もうまもりにも判る。
「顔洗って荷物纏めろ。送ってやる」
「え・・・もう?」
「その前に食事する時間くらいはあるだろ。たまには外で喰わせてやるよ」
勿論デザートの美味しいレストランでな、そう言われてまもりはへらりと笑った。
そうして、茶虎で碧眼の猫が正式にヒル魔の住まいに住み着くようになるのは、また少しだけ先の話。
***
ルカ様リクエスト『他人の事には何でも鋭いが、自分の恋愛の事については、限りなく鈍く天然な蛭魔と、一生懸命蛭魔を振り向かそうとするまもりと、そんなまもりが可哀想に思えてしまうデビルバッツメンバー、みたいな話』でした。楽しく書かせて頂きました♪
リクエストありがとうございましたー!!
ルカ様のみお持ち帰り可。
以下返信です。反転してお読み下さい。
ちょっとパロディの話で書きたいと思ったシチュエーション混ぜちゃったのでご希望通りではなくてすみません(苦笑)。デビルバッツメンバーも少ないし。普通こんなシチュエーションで女の子が家にいたら襲うだろうに、そういう方面に持っていかないあたりに鈍く天然なヒル魔さんにしてみました。ただの仕事バカでもあるようですが。
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同人歴は読み専門も含めると二桁は楽勝。
よろしくお願いいたします。
【裏について】
閉鎖しました。
現在のところ復活の予定はありません。
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