旧『そ れ は 突 然 の 嵐 の よ う に』です。
ア イ シ ー ル ド 21 ヒ ル ま も ss 中心。
いらっしゃらないとは思いますが、禁無断転載でお願いします。
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それは、遠い遠い昔の物語。
うつくしい湖の側に位置する国があった。
その名は、アイフェイオン王国。
賢王が統治し、優しき王妃もおり、そしてその二人の一人娘である美しい姫がいた。
さほど大きくもなく、資源が豊富なわけでもないが、水源に恵まれて農業が盛んであり、飢えのない幸せな国として名を馳せていた。
当然豊かであれば周辺の国にも狙われる事が多々あったが、一人の軍師が中心となって軍を支えて国を守り、また王自らも剣を取って戦っていた。
年若く才能ある軍師は、ゆくゆくはこの国の姫と婚姻し、この国を治めてより豊かにしてくれるのだと誰もが信じていた。
そして幸せな治世はずっと続いていくのだと。
だが。
変革は時の常。
唐突に起こった侵略に、幸せな国土は瞬く間に惨状へと化した。
ほんの数刻前まではいつも通りの穏やかな夜だった城内が、落ち着きなくざわめいている。
「城壁、破壊されました!」
「奴らは何か恐ろしい獣を使役しております!!」
伝令が入れ替わり立ち替わり情報をもたらすのを、軍師は厳しい顔で聞いていた。
相手はこのところ姫君との結婚を執拗に迫っていた隣国のトリトマ王国に違いない。
通常であれば近隣の国との政略結婚など珍しくもなく、直系の姫が一人しかいないこの国であれば傍系の姫を差し出す事も考えられる。
けれど、隣国はこのところ急に勢力を拡大した、後ろ暗い情報の絶えない国だ。
王は警戒し、誰もかの国へは血族を送らなかった。
なによりも相手は直系の姫君一人対してに異常とも言える程の執着を見せていたから、他の姫では差し出したところで門前払いだったかもしれない。
そして危惧の通り、国力としては差のないはずの他の国を急に攻め落とし、周辺の国へと牙を剥き始めたのだ。
「ヒル魔様、これ以上の戦いは・・・」
戦力の差は歴然だった。
投降をすべきだと兵士の一人が口にしたが、彼は首を振る。
「あの国に下って示される道は二つ。隷属か、死か」
「・・・っ!」
兵士に動揺が走る。
「この数年、急激に勢力を伸ばした裏が何かを調べたが―――」
ヒル魔と呼ばれた軍師は手元の書類を見つめる。
「おそらくは禁忌の魔法に手を出したものと思われる」
「禁忌の!」
周囲は驚きを隠せない。
「そんな・・・!」
「では、使役している魔物は・・・」
「禁忌の魔法による召喚だろう」
禁忌の魔法は、使用すれば強大な破壊力をもたらしたり、人外の獣を召喚することができる。
ただしそれには大いなる犠牲が必要。
人々の命、だ。
「奴らに下ればよほど腕が立たない限りは禁忌の魔法の為、使い捨ての燃料の如く扱われるだろう」
よほど腕が立てば生き残れるかもしれないが、それさえも使い捨ての駒に他ならない。
虫けらの如く踏みにじられるのが目に浮かぶようだ。
人として真っ当に生きる道など残されないのだ。
青ざめ震える兵士に、今まで口をつぐんでいた王が立ち上がる。
「総員退避を命じる! 全員国外へ逃亡し、命を守れ!」
「ですが、王! 国が!」
「国土などいずれ取り返す事が出来る! だが、命はそうはいかぬ!」
遠くで響いていた戦いの音が、次第に近づいてくる。
中枢まで踏み込んで、王の首を奪おうと牙を剥いたケダモノがやってくる。
王はぐるりと周囲を見渡した。
ここにいるのは、王を警護する、軍師を含めた精鋭部隊。
そうしてヒル魔は真っ直ぐに彼を見る王に、彼の意図を汲み取る。
ヒル魔は一度きつく瞼を閉じ、そして声を上げた。
「脱出だ!!」
それに兵士は声を揃えて武器を構えた。
『Yes,my lord!!』
脱出用に設置されている秘密の回廊を走り抜ける二つの人影。
複雑に入り組んだその中を走るのはヒル魔と。
「なんで・・・私たちだけ、ここなの・・・? お父様たちは・・・」
手を引かれ、必死にその後についてくる女性。
美しい白皙の顔を歪めるのは、この国の王位継承者、まもり姫だ。
「王は、囮だ」
「お・・・!?」
絶句するまもりに、ヒル魔はちらりと視線を向ける。
「奴らの狙いはこの国、それ以上にテメェだ」
「私!?」
「稀代の美女、っつー触れ込みだからな」
「そんな、だって、私は・・・」
「奴は執拗にテメェとの婚姻を迫ってたからな」
まもりは繋いでいる手を握りしめる。
王位継承権というのは、本来男だけが持つものだ。
けれど現王の子は彼女一人、だから彼女が建前の継承権を持つのだが、正確には彼女と結婚した男が王位を継ぐ事になる。
そうしてまもりは正式な発表こそしていなかったが、既にヒル魔と内々に契っていた。
だから、この国の次代の王は非公式であってもヒル魔に他ならず、まもりは既に彼の妻なのだ。
そんな彼女がどうあってもトリトマ王国に嫁ぐ事はないのに。
「俺たちが逃げて生き延びれば王家の血は存続する。王は最初からそのつもりで俺たちだけ別に逃がした」
王はあの場所から逃げ出すことがほぼ不可能であること、そしてまもりが狙いであることも最初から理解していた。
だから彼女を次の王となるヒル魔に託し、自らは二人を逃がすための囮となることを選んだのだ。
おそらく精鋭部隊である護衛兵たちも気づいていただろう。
だが、彼らは何も言わず、ヒル魔に全てを託していった。
「そんな」
まもりの瞳にじわりと涙が滲むが、感傷に浸る間はない。
今はここから逃げ出すのが先決だ。
ケダモノの息が掛からないうちに。
恐ろしい魔の手から遠く離れた地へ向かうために。
まもりは必死にヒル魔の後を走る。
唐突に、聞いた事もないようなおぞましい咆哮が背後から追ってきた。
「・・・っ」
「糞ッ!! 走れ!!」
道を破壊している轟音も追ってくる。
振動で落ちてくる細かい埃が二人の視界を悪くするが、それに構っている余裕はなかった。
背後にいるのは、異界から召喚されたおぞましいケダモノであろう。
そうしてここが知れているという事は、この先の出口で捕まる可能性が高いという事だ。
ヒル魔は脳裏でこの回廊の他の出口を検索するが、既に最後の分岐はここよりも前に終わっており、この先に出口は一つしかない。
王位を継ぐ事を決めたその日から頭にたたき込んだ城内地図。
施された罠もその仕掛けの起動装置も覚えている。
けれど今この段階で役立つ物はどこを探してもない。
いや、一つだけ背後のケダモノを止めるものが、まだある。
そう考えていたヒル魔の耳に、向かっていたはずの出口から聞こえてくる追っ手の声。
「いたぞ!!」
背後から押し寄せる異形の気配はもう間近まで迫っている。
このままでは二人とも背後のケダモノに襲われ殺されるか、それから逃げても大挙して追ってきている敵に捕まり殺されるか。
どちらにしても選択肢には『死』しかない。
絶体絶命。
刻一刻と迫る『死』の恐怖にまもりは目を見開き震えるばかり。
ヒル魔は不意にそんなまもりを抱き寄せた。
「な・・・」
「まもり」
名を呼ばれ、頭を撫でられ。
こんな時なのに、こんな場所なのに、そんなことは些少だと言わんばかりに優しい声で、仕草で。
そうして互いの唇が触れる。
荒い息で乾いた唇の、それでも柔らかい感触。
一瞬の甘い触れ合いに、まもりは彼の顔を見ようとして。
「何・・・」
とん、と軽く突き飛ばされたまもりの視線の先で、鉄格子が派手な音を立てて二人を隔てた。
ヒル魔の手が壁の仕掛けの起動装置に伸びていた。彼は既に彼女に背を向けてケダモノと対峙する姿勢だ。
まもりは一気に青ざめる。
「え!? 何、してるの!? 開けて!! ここ、開けて!!」
「テメェは生きろ」
「何―――」
「俺はここであの化け物を食い止める」
食い止めるなんて、異形の獣相手では無理な話だ。
それは今から死にに行く、という宣言と同じ。
「何、なんでそんなこと言うの!? ヒル魔くん、お願い、開けて!!」
鉄格子に取りすがるまもりの向こうで、ヒル魔は彼女を見る事はない。
そしてまもりの視界に見えたのは、闇の中でありながら闇よりももっと暗く蠢く異形の影。
ぎくりとまもりの体が強ばる。
「嫌ぁ!! 早くここを開けて!! 逃げましょう、出口はもうすぐそこなのよ!?」
「もうそっちには追っ手が来てる。ここでケダモノ相手に二人で逃げきれたとしても、俺はどのみち殺される」
声は静かだった。
「テメェ一人なら殺される事はねぇ」
「だからって! あなたがここで一人死ぬ必要はないでしょう?!」
「二人でケダモノにやられて犬死じゃ、他の連中に悪ィからナァ」
軽い口調のまま、ひら、とヒル魔の左手が挙がる。
「愛してるぜ」
まもりは目を見開き、更に言いつのろうとしたが。
不意に彼の姿が、消えた。
凄まじい轟音。
そして、深紅。
敵国の兵士が松明を手に姫を取り囲んだとき、彼女は血まみれで呆然と空を見つめて座り込んでいた。
目の前の鉄格子にはひしゃげたケダモノの身体が歪んで貼り付いている。
絶命しているのは一目で知れた。
まもりが浴びた夥しい鮮血は、たった今浴びたものに違いない。
そこに転がるのは男の左腕が一本だけ。
それ以外に他の人影はない。
その異様な光景に一瞬躊躇しながらも、兵士の一人が声を掛ける。
「まもり姫か」
問いかけられて、彼女はのろりと視線を向ける。
血にまみれてもなお、絶望的に美しい彼女の青い瞳が暗く兵士を見上げる。
「こちらに来て頂こう。丁重にお連れするように我が王から伝えられております」
強引に立たされた彼女は諾々とついていく。
後に続いた兵士の一人がふと首を傾げた。
「・・・?」
「どうした?」
「いや、あそこの左手・・・」
血の海にうち捨てられた左腕。
「なんで一本だけ指がないのかと思って」
「衝撃で吹き飛んだんだろ、きっと」
あのケダモノ自体がめり込んで貼り付く程の衝撃をまともに食らったのなら、人一人木っ端微塵だろう。
きっとあの姫を護衛していた兵士が犠牲になったのだろう、と兵士達は考える。
見上げた忠義だな、と内心その顔も知らない男に敬礼さえしたのだった。
返り血で深紅に染まった姫を、それでも攻め込んだトリトマ王国の王は満足げに迎え入れた。
アイフェイオン王国は事実上崩壊し、けれど血族であるまもりが王妃の座に迎え入れられた事で、かの国はトリトマ王国と国土を共にすると発表された。
心の傷のためか、一切の表情が無くなった彼女はそれでも美しく、稀代の美女というのは誇大評価ではないと国内外に知れ渡る。
やがて時は過ぎて。
王は下段で小さくなる臣下に怒鳴る。
落ち着きなく爪を噛む仕草は、とても一国の王とは思えない。
「何故だ!!」
臣下は俯くばかりで何も言えず、ただただ王の不満を受ける。
「なぜまもりは笑わない?!」
一度だけどこかの席で見た彼女の笑顔。
白磁の頬に柔らかく桃色が掃かれ、美しい碧の瞳が柔らかく綻んで、天使のように美しかった。
以来まもりに心奪われ、恋い焦がれて禁忌の魔法に手を出し、あの国を侵略し、彼女をこの手に収めた。
多大な労力と犠牲を払い手に入れたのに、当の本人はぴくりとも笑わないのだ。
山のような美麗な衣装も、美しい宝石も、溢れんばかりの花も。
夜ごと抱いても愛を囁いてもどれだけ慈しんでも。
何一つ彼女の表情を動かすものはない。
冷静に考えれば誰だって自分の国を滅ぼした敵国の王に媚びへつらう訳がないのだが、王の頭にそんな考えは一つもない。
こんなにも愛しているのに、自分の愛情に反応がないことが腹立たしくてしょうがない。
隣にいる彼女は激昂する王を見てもただ静かに座っているだけだ。
「・・・くそ!!」
王は立ち上がり、苛立ち紛れに臣下に手にしていた杯を投げつけた。
「っ」
臣下の頭に当たり、一筋血が流れる。
すると。
「・・・ふふ」
聞こえてきた小さな笑み声。
王は目を見開き、勢いよく隣を見る。
そこでは今まで全く笑わなかったまもりが、僅かにだが瞳を細めているではないか。
「まもり?!」
彼女の視線は臣下の血を見ている。
痛みに眉を顰めるその表情を見ている。
「・・・これが楽しいのか?」
まもりの唇が薄く笑みの形に変わる。
王はふらりと立ち上がり、おもむろに剣を抜いた。
豪奢な宝石で飾られているが、その切れ味は飾りではない。
臣下が目を見開き、危険を察知して逃げようとするが、王の剣の方が早かった。
「ぎゃああ!!」
悲鳴を上げ、首を切られた臣下が倒れる。
夥しい量の血が噴き出し、周囲に文字通り血の雨を降らせる。
途端にけたたましい程の笑い声がまもりの喉からあふれ出した。
「お・・・・おおお・・・」
感動に打ち震える王の前で、まもりは楽しそうに声を上げて笑っている。
いつか見た、天使のような笑顔で。
それに王も満足げに笑みを浮かべ、血まみれの剣を放り出し彼女を抱きしめた。
それから。
処刑場に王とまもりは足繁く通うようになる。
より残忍で、より手酷い処刑にこそまもりは笑みを見せた。
血が溢れるのを殊の外喜ぶような彼女を笑わせるために、王は次々と残忍な処刑を命じた。
毎日のように処刑が続き、重犯罪者はあっという間に死に絶え、次第に軽犯罪者も命を落とすようになっていく。
王を目覚めさせようと苦言を呈した者も、同じ処刑待ちの列に並ばされる。
病気の子を助けようと金銭を盗んだ男も。
日々の生活に困り、たった一切れのパンを盗んだ子供も。
子供を養おうと人の畑から一つカボチャを盗んだだけの女も。
次々と処刑台に送られ、人を人とも思わないような残忍な方法で殺されていく。
牛や馬に引かれ、八つ裂きにされる者もいる。
逆さ釣りにされ、徐々に足から刻まれて、それでも死ねずに呻く者もいる。
罪人同士で剣を持たされ、血みどろの死闘劇を繰り広げさせられる者たちもいる。
用意された毒の池に生きたまま放り込まれる者もいる。
煮えたぎった油を掛けられて藻掻き苦しむ者もいる。
人々が思いつく限りの残忍な処刑は、その想像以上の非道さで執行され続けた
そして処刑を繰り返す王を批判した者も見つかれば即座に処刑場へと送られた。
誰も、まもりに心奪われ人の道をとうに踏み外した王を止められなかった。
不平不満を口にも出せず、誰も信用ならない日々に人々の精神はすり減っていく。
誰の瞳も暗くうち沈み、人目に怯えて暮らすようになる。
「ぎゃぁあああああ!!!」
「いぎゃぁああ!!」
「ぐああああ・・・」
響き渡る悲鳴、絶望にむせび泣く声、阿鼻叫喚の地獄。
血臭と死臭がむせかえる空間で、まもりは楽しそうに笑っている。
その姿はまるで聖母のようなのに、彼女が望むのは人々への地獄のような苦しみばかり。
次第に人々は不満を溜め込んでいく。
王は変わった。
もはやあれは王ではない。
ただの、魔物だ。
その変化の元凶はあの女。
あの女こそ、魔女だ、と。
人々の血肉を啜っているからあれほどに恐ろしい程美しいのだ、と。
この国を滅ぼすために魔王から使わされた悪魔の使徒だ、と。
けれど人々のどす黒い感情の渦巻く視線を受け止めて尚、まもりは清廉に笑っていた。
そして抑圧され続け、蔑まれてきた人々の不満は、とうとう―――爆発した。
まもりはふと目を覚ます。
城内の空気が酷くざわめいている。
遠くで争う人々の声。城内を慌てふためき走り回る者の足音。
かつても聞いた事があるそれに、まもりは引き出しからペンダントを取り出し身につけ、笑みを浮かべて王座の間へと足を進めた。
「ぐあああ!!」
次々に斬りつけられ、石を投げられ、もんどり打って倒れる王に群がるたくさんの人々。
その誰もが憎しみに、怒りに、その顔を醜く歪ませている。
「思い知れ!! 俺たちの苦しみを!!」
武器を手に暴徒と化した国民に取り囲まれ、王はぜいぜいと荒い息をつく。
「こんな・・・私にこんなことをしてただですむと・・・」
彼は味方を探したが、誰一人彼を守るべく立ちはだかる兵卒の姿はない。
そもそも警備が堅牢であれば、こんな暴徒達が入り込むことなどなかった。
「テメェ一人に何が出来る!!」
「もう軍隊もこっちについてんだよ!!」
極悪非道な所業を王のために国のためにと繰り返した軍人たちも、人道を外れた王から既に心を離していた。
市井の人間も、兵士も、誰もが見つからないように密かに用意した地下の隠れ家で、ひそりひそりと今夜までの計画を練っていたのだ。
とても判りやすい、独裁政治から逃れるための、クーデター。
そうしてそれは成功しようとしている。
最早王に味方はいない。
いや、一人だけいる。
彼が全身全霊をかけて愛する、妻が。
彼はよろめきながらまもりの元へ行こうとするが。
「逃がすか!」
「テメェがやりやがった処刑以上の最低な殺し方をしてやる!!」
何本もの腕が彼を捕らえ、押さえつける。
そこにかつての王の威厳はない。
床に力無くはいつくばる彼の視界に、ふいに真っ白な足が入る。
「まもり・・・」
ゆらりと現れた王妃に、国民は更にいきり立つ。
「出たな魔女め!!」
「テメェも殺してやる!!」
まもりは背に隠し持っていた剣をすらりと抜き、彼らに向けた。
まさか武器を持っているとは思わなかった国民は咄嗟に王から退いた。
のし掛かる圧迫感から解放され、王は笑みを浮かべた。
やはり彼女は自分の味方だ、と。
そして彼は白刃を閃かせるまもりをうっとりと見上げた。
「私の名前は、まもり」
涼やかな声は、緊迫した空気に不釣り合いな程、美しかった。
「私は、アイフェイオン王国国王ヒル魔の妻」
その言葉に、王は目を見開く。
まもりは笑っていた。
穏やかに、美しく、いつもの通り。
けれど、その瞳が――――――――果てしなく、冷徹に王を見下ろしている。
絶望という言葉の意味を彼に知らしめるように。
「やっとこの時が来たわ」
それはどういう意味だ、と王が問いかける間もなかった。
次の瞬間。
彼女は躊躇いなく剣を振るう。
途端に飛び散るのは派手な血飛沫。
「な・・・」
転がるのは王だった男の首。
絶句する人々の前でいつかのように返り血を浴びたまもりは胸元のペンダントを握りしめる。
「我が望み、叶ったり!」
花が綻ぶように、幸せそうに宣言した彼女は血まみれの剣を足下に放った。
響く硬質な音。
「う・・・うわぁあああ!!」
その音に我に返った国民の槍や剣が次々と彼女の身体に突き刺さった。
まもりが絶命しても手を放さなかったペンダントを、国民の一人が強引にむしり取り、検分する。
それは中が空洞で、小物が入るようになっている。
蓋を開くと、小さな骨の欠片がいくつかと、爪が入っていた。
「これは何だ?」
「さあ・・・」
首を捻る者たちに答える者はおらず、彼らが真実を知る術は、もうない。
ヒル魔が目の前で惨殺されたとき、衝撃で鉄格子からこぼれ落ちた左腕。
『ヒル魔、くん・・・』
それが、ほんの一瞬前までまもりの名を呼び、頭を撫で、キスをくれた最愛の人の―――なれの果て。
『いや・・・ぁ・・・』
涙が溢れ、絶望に打ちひしがれるまもりの耳に、ヒル魔の言った追っ手の声が聞こえる。
ヒル魔の腕を抱えて、その場から逃げたかった。
けれどそれが許されないだろうと、聡明な彼女の頭は実に冷静に、判断を下した。
全てを持っては行けない。ならば。
まもりは咄嗟にその薬指を食いちぎり、隠し持ったのだ。
こんな事態になったのは、こんな目に遭ったのは、ただ一人の男のせいだ。
ならば復讐を。
自らの国の王が、国民が、何より愛するヒル魔が受けた苦痛を、かの男にも。
その誓いのために、ヒル魔への愛を貫く拠り所とするために。
永遠を誓うリングが嵌るはずだったヒル魔の指を、まもりは欲したのだ。
密かな誓いの元、憎い男に抱かれ続け、感情を押し殺し、苦しみ悶える人々の前で殊更笑みを浮かべ。
人々の不安、不満、憎悪、嫌悪、ありとあらゆる負の感情を呼び覚まし。
そうして、人々にかつては敬愛したであろう王を裏切らせ。
最後には最愛にして最後の味方だと思っていた妻にも裏切られるという最大の苦痛と、死を与えた。
それは、恐ろしい程の執念で練り上げられ、成し遂げられた復讐劇。
その幕引きを終えて、まもりは死して尚、満足そうに微笑んでいた。
***
『アイアン・メイデン』は『鉄の処女』とも呼ばれる処刑具の一つです。
当初の拍手だとなんだか言葉が不足していたので、かなり加筆修正しました。満足です!
うつくしい湖の側に位置する国があった。
その名は、アイフェイオン王国。
賢王が統治し、優しき王妃もおり、そしてその二人の一人娘である美しい姫がいた。
さほど大きくもなく、資源が豊富なわけでもないが、水源に恵まれて農業が盛んであり、飢えのない幸せな国として名を馳せていた。
当然豊かであれば周辺の国にも狙われる事が多々あったが、一人の軍師が中心となって軍を支えて国を守り、また王自らも剣を取って戦っていた。
年若く才能ある軍師は、ゆくゆくはこの国の姫と婚姻し、この国を治めてより豊かにしてくれるのだと誰もが信じていた。
そして幸せな治世はずっと続いていくのだと。
だが。
変革は時の常。
唐突に起こった侵略に、幸せな国土は瞬く間に惨状へと化した。
ほんの数刻前まではいつも通りの穏やかな夜だった城内が、落ち着きなくざわめいている。
「城壁、破壊されました!」
「奴らは何か恐ろしい獣を使役しております!!」
伝令が入れ替わり立ち替わり情報をもたらすのを、軍師は厳しい顔で聞いていた。
相手はこのところ姫君との結婚を執拗に迫っていた隣国のトリトマ王国に違いない。
通常であれば近隣の国との政略結婚など珍しくもなく、直系の姫が一人しかいないこの国であれば傍系の姫を差し出す事も考えられる。
けれど、隣国はこのところ急に勢力を拡大した、後ろ暗い情報の絶えない国だ。
王は警戒し、誰もかの国へは血族を送らなかった。
なによりも相手は直系の姫君一人対してに異常とも言える程の執着を見せていたから、他の姫では差し出したところで門前払いだったかもしれない。
そして危惧の通り、国力としては差のないはずの他の国を急に攻め落とし、周辺の国へと牙を剥き始めたのだ。
「ヒル魔様、これ以上の戦いは・・・」
戦力の差は歴然だった。
投降をすべきだと兵士の一人が口にしたが、彼は首を振る。
「あの国に下って示される道は二つ。隷属か、死か」
「・・・っ!」
兵士に動揺が走る。
「この数年、急激に勢力を伸ばした裏が何かを調べたが―――」
ヒル魔と呼ばれた軍師は手元の書類を見つめる。
「おそらくは禁忌の魔法に手を出したものと思われる」
「禁忌の!」
周囲は驚きを隠せない。
「そんな・・・!」
「では、使役している魔物は・・・」
「禁忌の魔法による召喚だろう」
禁忌の魔法は、使用すれば強大な破壊力をもたらしたり、人外の獣を召喚することができる。
ただしそれには大いなる犠牲が必要。
人々の命、だ。
「奴らに下ればよほど腕が立たない限りは禁忌の魔法の為、使い捨ての燃料の如く扱われるだろう」
よほど腕が立てば生き残れるかもしれないが、それさえも使い捨ての駒に他ならない。
虫けらの如く踏みにじられるのが目に浮かぶようだ。
人として真っ当に生きる道など残されないのだ。
青ざめ震える兵士に、今まで口をつぐんでいた王が立ち上がる。
「総員退避を命じる! 全員国外へ逃亡し、命を守れ!」
「ですが、王! 国が!」
「国土などいずれ取り返す事が出来る! だが、命はそうはいかぬ!」
遠くで響いていた戦いの音が、次第に近づいてくる。
中枢まで踏み込んで、王の首を奪おうと牙を剥いたケダモノがやってくる。
王はぐるりと周囲を見渡した。
ここにいるのは、王を警護する、軍師を含めた精鋭部隊。
そうしてヒル魔は真っ直ぐに彼を見る王に、彼の意図を汲み取る。
ヒル魔は一度きつく瞼を閉じ、そして声を上げた。
「脱出だ!!」
それに兵士は声を揃えて武器を構えた。
『Yes,my lord!!』
脱出用に設置されている秘密の回廊を走り抜ける二つの人影。
複雑に入り組んだその中を走るのはヒル魔と。
「なんで・・・私たちだけ、ここなの・・・? お父様たちは・・・」
手を引かれ、必死にその後についてくる女性。
美しい白皙の顔を歪めるのは、この国の王位継承者、まもり姫だ。
「王は、囮だ」
「お・・・!?」
絶句するまもりに、ヒル魔はちらりと視線を向ける。
「奴らの狙いはこの国、それ以上にテメェだ」
「私!?」
「稀代の美女、っつー触れ込みだからな」
「そんな、だって、私は・・・」
「奴は執拗にテメェとの婚姻を迫ってたからな」
まもりは繋いでいる手を握りしめる。
王位継承権というのは、本来男だけが持つものだ。
けれど現王の子は彼女一人、だから彼女が建前の継承権を持つのだが、正確には彼女と結婚した男が王位を継ぐ事になる。
そうしてまもりは正式な発表こそしていなかったが、既にヒル魔と内々に契っていた。
だから、この国の次代の王は非公式であってもヒル魔に他ならず、まもりは既に彼の妻なのだ。
そんな彼女がどうあってもトリトマ王国に嫁ぐ事はないのに。
「俺たちが逃げて生き延びれば王家の血は存続する。王は最初からそのつもりで俺たちだけ別に逃がした」
王はあの場所から逃げ出すことがほぼ不可能であること、そしてまもりが狙いであることも最初から理解していた。
だから彼女を次の王となるヒル魔に託し、自らは二人を逃がすための囮となることを選んだのだ。
おそらく精鋭部隊である護衛兵たちも気づいていただろう。
だが、彼らは何も言わず、ヒル魔に全てを託していった。
「そんな」
まもりの瞳にじわりと涙が滲むが、感傷に浸る間はない。
今はここから逃げ出すのが先決だ。
ケダモノの息が掛からないうちに。
恐ろしい魔の手から遠く離れた地へ向かうために。
まもりは必死にヒル魔の後を走る。
唐突に、聞いた事もないようなおぞましい咆哮が背後から追ってきた。
「・・・っ」
「糞ッ!! 走れ!!」
道を破壊している轟音も追ってくる。
振動で落ちてくる細かい埃が二人の視界を悪くするが、それに構っている余裕はなかった。
背後にいるのは、異界から召喚されたおぞましいケダモノであろう。
そうしてここが知れているという事は、この先の出口で捕まる可能性が高いという事だ。
ヒル魔は脳裏でこの回廊の他の出口を検索するが、既に最後の分岐はここよりも前に終わっており、この先に出口は一つしかない。
王位を継ぐ事を決めたその日から頭にたたき込んだ城内地図。
施された罠もその仕掛けの起動装置も覚えている。
けれど今この段階で役立つ物はどこを探してもない。
いや、一つだけ背後のケダモノを止めるものが、まだある。
そう考えていたヒル魔の耳に、向かっていたはずの出口から聞こえてくる追っ手の声。
「いたぞ!!」
背後から押し寄せる異形の気配はもう間近まで迫っている。
このままでは二人とも背後のケダモノに襲われ殺されるか、それから逃げても大挙して追ってきている敵に捕まり殺されるか。
どちらにしても選択肢には『死』しかない。
絶体絶命。
刻一刻と迫る『死』の恐怖にまもりは目を見開き震えるばかり。
ヒル魔は不意にそんなまもりを抱き寄せた。
「な・・・」
「まもり」
名を呼ばれ、頭を撫でられ。
こんな時なのに、こんな場所なのに、そんなことは些少だと言わんばかりに優しい声で、仕草で。
そうして互いの唇が触れる。
荒い息で乾いた唇の、それでも柔らかい感触。
一瞬の甘い触れ合いに、まもりは彼の顔を見ようとして。
「何・・・」
とん、と軽く突き飛ばされたまもりの視線の先で、鉄格子が派手な音を立てて二人を隔てた。
ヒル魔の手が壁の仕掛けの起動装置に伸びていた。彼は既に彼女に背を向けてケダモノと対峙する姿勢だ。
まもりは一気に青ざめる。
「え!? 何、してるの!? 開けて!! ここ、開けて!!」
「テメェは生きろ」
「何―――」
「俺はここであの化け物を食い止める」
食い止めるなんて、異形の獣相手では無理な話だ。
それは今から死にに行く、という宣言と同じ。
「何、なんでそんなこと言うの!? ヒル魔くん、お願い、開けて!!」
鉄格子に取りすがるまもりの向こうで、ヒル魔は彼女を見る事はない。
そしてまもりの視界に見えたのは、闇の中でありながら闇よりももっと暗く蠢く異形の影。
ぎくりとまもりの体が強ばる。
「嫌ぁ!! 早くここを開けて!! 逃げましょう、出口はもうすぐそこなのよ!?」
「もうそっちには追っ手が来てる。ここでケダモノ相手に二人で逃げきれたとしても、俺はどのみち殺される」
声は静かだった。
「テメェ一人なら殺される事はねぇ」
「だからって! あなたがここで一人死ぬ必要はないでしょう?!」
「二人でケダモノにやられて犬死じゃ、他の連中に悪ィからナァ」
軽い口調のまま、ひら、とヒル魔の左手が挙がる。
「愛してるぜ」
まもりは目を見開き、更に言いつのろうとしたが。
不意に彼の姿が、消えた。
凄まじい轟音。
そして、深紅。
敵国の兵士が松明を手に姫を取り囲んだとき、彼女は血まみれで呆然と空を見つめて座り込んでいた。
目の前の鉄格子にはひしゃげたケダモノの身体が歪んで貼り付いている。
絶命しているのは一目で知れた。
まもりが浴びた夥しい鮮血は、たった今浴びたものに違いない。
そこに転がるのは男の左腕が一本だけ。
それ以外に他の人影はない。
その異様な光景に一瞬躊躇しながらも、兵士の一人が声を掛ける。
「まもり姫か」
問いかけられて、彼女はのろりと視線を向ける。
血にまみれてもなお、絶望的に美しい彼女の青い瞳が暗く兵士を見上げる。
「こちらに来て頂こう。丁重にお連れするように我が王から伝えられております」
強引に立たされた彼女は諾々とついていく。
後に続いた兵士の一人がふと首を傾げた。
「・・・?」
「どうした?」
「いや、あそこの左手・・・」
血の海にうち捨てられた左腕。
「なんで一本だけ指がないのかと思って」
「衝撃で吹き飛んだんだろ、きっと」
あのケダモノ自体がめり込んで貼り付く程の衝撃をまともに食らったのなら、人一人木っ端微塵だろう。
きっとあの姫を護衛していた兵士が犠牲になったのだろう、と兵士達は考える。
見上げた忠義だな、と内心その顔も知らない男に敬礼さえしたのだった。
返り血で深紅に染まった姫を、それでも攻め込んだトリトマ王国の王は満足げに迎え入れた。
アイフェイオン王国は事実上崩壊し、けれど血族であるまもりが王妃の座に迎え入れられた事で、かの国はトリトマ王国と国土を共にすると発表された。
心の傷のためか、一切の表情が無くなった彼女はそれでも美しく、稀代の美女というのは誇大評価ではないと国内外に知れ渡る。
やがて時は過ぎて。
王は下段で小さくなる臣下に怒鳴る。
落ち着きなく爪を噛む仕草は、とても一国の王とは思えない。
「何故だ!!」
臣下は俯くばかりで何も言えず、ただただ王の不満を受ける。
「なぜまもりは笑わない?!」
一度だけどこかの席で見た彼女の笑顔。
白磁の頬に柔らかく桃色が掃かれ、美しい碧の瞳が柔らかく綻んで、天使のように美しかった。
以来まもりに心奪われ、恋い焦がれて禁忌の魔法に手を出し、あの国を侵略し、彼女をこの手に収めた。
多大な労力と犠牲を払い手に入れたのに、当の本人はぴくりとも笑わないのだ。
山のような美麗な衣装も、美しい宝石も、溢れんばかりの花も。
夜ごと抱いても愛を囁いてもどれだけ慈しんでも。
何一つ彼女の表情を動かすものはない。
冷静に考えれば誰だって自分の国を滅ぼした敵国の王に媚びへつらう訳がないのだが、王の頭にそんな考えは一つもない。
こんなにも愛しているのに、自分の愛情に反応がないことが腹立たしくてしょうがない。
隣にいる彼女は激昂する王を見てもただ静かに座っているだけだ。
「・・・くそ!!」
王は立ち上がり、苛立ち紛れに臣下に手にしていた杯を投げつけた。
「っ」
臣下の頭に当たり、一筋血が流れる。
すると。
「・・・ふふ」
聞こえてきた小さな笑み声。
王は目を見開き、勢いよく隣を見る。
そこでは今まで全く笑わなかったまもりが、僅かにだが瞳を細めているではないか。
「まもり?!」
彼女の視線は臣下の血を見ている。
痛みに眉を顰めるその表情を見ている。
「・・・これが楽しいのか?」
まもりの唇が薄く笑みの形に変わる。
王はふらりと立ち上がり、おもむろに剣を抜いた。
豪奢な宝石で飾られているが、その切れ味は飾りではない。
臣下が目を見開き、危険を察知して逃げようとするが、王の剣の方が早かった。
「ぎゃああ!!」
悲鳴を上げ、首を切られた臣下が倒れる。
夥しい量の血が噴き出し、周囲に文字通り血の雨を降らせる。
途端にけたたましい程の笑い声がまもりの喉からあふれ出した。
「お・・・・おおお・・・」
感動に打ち震える王の前で、まもりは楽しそうに声を上げて笑っている。
いつか見た、天使のような笑顔で。
それに王も満足げに笑みを浮かべ、血まみれの剣を放り出し彼女を抱きしめた。
それから。
処刑場に王とまもりは足繁く通うようになる。
より残忍で、より手酷い処刑にこそまもりは笑みを見せた。
血が溢れるのを殊の外喜ぶような彼女を笑わせるために、王は次々と残忍な処刑を命じた。
毎日のように処刑が続き、重犯罪者はあっという間に死に絶え、次第に軽犯罪者も命を落とすようになっていく。
王を目覚めさせようと苦言を呈した者も、同じ処刑待ちの列に並ばされる。
病気の子を助けようと金銭を盗んだ男も。
日々の生活に困り、たった一切れのパンを盗んだ子供も。
子供を養おうと人の畑から一つカボチャを盗んだだけの女も。
次々と処刑台に送られ、人を人とも思わないような残忍な方法で殺されていく。
牛や馬に引かれ、八つ裂きにされる者もいる。
逆さ釣りにされ、徐々に足から刻まれて、それでも死ねずに呻く者もいる。
罪人同士で剣を持たされ、血みどろの死闘劇を繰り広げさせられる者たちもいる。
用意された毒の池に生きたまま放り込まれる者もいる。
煮えたぎった油を掛けられて藻掻き苦しむ者もいる。
人々が思いつく限りの残忍な処刑は、その想像以上の非道さで執行され続けた
そして処刑を繰り返す王を批判した者も見つかれば即座に処刑場へと送られた。
誰も、まもりに心奪われ人の道をとうに踏み外した王を止められなかった。
不平不満を口にも出せず、誰も信用ならない日々に人々の精神はすり減っていく。
誰の瞳も暗くうち沈み、人目に怯えて暮らすようになる。
「ぎゃぁあああああ!!!」
「いぎゃぁああ!!」
「ぐああああ・・・」
響き渡る悲鳴、絶望にむせび泣く声、阿鼻叫喚の地獄。
血臭と死臭がむせかえる空間で、まもりは楽しそうに笑っている。
その姿はまるで聖母のようなのに、彼女が望むのは人々への地獄のような苦しみばかり。
次第に人々は不満を溜め込んでいく。
王は変わった。
もはやあれは王ではない。
ただの、魔物だ。
その変化の元凶はあの女。
あの女こそ、魔女だ、と。
人々の血肉を啜っているからあれほどに恐ろしい程美しいのだ、と。
この国を滅ぼすために魔王から使わされた悪魔の使徒だ、と。
けれど人々のどす黒い感情の渦巻く視線を受け止めて尚、まもりは清廉に笑っていた。
そして抑圧され続け、蔑まれてきた人々の不満は、とうとう―――爆発した。
まもりはふと目を覚ます。
城内の空気が酷くざわめいている。
遠くで争う人々の声。城内を慌てふためき走り回る者の足音。
かつても聞いた事があるそれに、まもりは引き出しからペンダントを取り出し身につけ、笑みを浮かべて王座の間へと足を進めた。
「ぐあああ!!」
次々に斬りつけられ、石を投げられ、もんどり打って倒れる王に群がるたくさんの人々。
その誰もが憎しみに、怒りに、その顔を醜く歪ませている。
「思い知れ!! 俺たちの苦しみを!!」
武器を手に暴徒と化した国民に取り囲まれ、王はぜいぜいと荒い息をつく。
「こんな・・・私にこんなことをしてただですむと・・・」
彼は味方を探したが、誰一人彼を守るべく立ちはだかる兵卒の姿はない。
そもそも警備が堅牢であれば、こんな暴徒達が入り込むことなどなかった。
「テメェ一人に何が出来る!!」
「もう軍隊もこっちについてんだよ!!」
極悪非道な所業を王のために国のためにと繰り返した軍人たちも、人道を外れた王から既に心を離していた。
市井の人間も、兵士も、誰もが見つからないように密かに用意した地下の隠れ家で、ひそりひそりと今夜までの計画を練っていたのだ。
とても判りやすい、独裁政治から逃れるための、クーデター。
そうしてそれは成功しようとしている。
最早王に味方はいない。
いや、一人だけいる。
彼が全身全霊をかけて愛する、妻が。
彼はよろめきながらまもりの元へ行こうとするが。
「逃がすか!」
「テメェがやりやがった処刑以上の最低な殺し方をしてやる!!」
何本もの腕が彼を捕らえ、押さえつける。
そこにかつての王の威厳はない。
床に力無くはいつくばる彼の視界に、ふいに真っ白な足が入る。
「まもり・・・」
ゆらりと現れた王妃に、国民は更にいきり立つ。
「出たな魔女め!!」
「テメェも殺してやる!!」
まもりは背に隠し持っていた剣をすらりと抜き、彼らに向けた。
まさか武器を持っているとは思わなかった国民は咄嗟に王から退いた。
のし掛かる圧迫感から解放され、王は笑みを浮かべた。
やはり彼女は自分の味方だ、と。
そして彼は白刃を閃かせるまもりをうっとりと見上げた。
「私の名前は、まもり」
涼やかな声は、緊迫した空気に不釣り合いな程、美しかった。
「私は、アイフェイオン王国国王ヒル魔の妻」
その言葉に、王は目を見開く。
まもりは笑っていた。
穏やかに、美しく、いつもの通り。
けれど、その瞳が――――――――果てしなく、冷徹に王を見下ろしている。
絶望という言葉の意味を彼に知らしめるように。
「やっとこの時が来たわ」
それはどういう意味だ、と王が問いかける間もなかった。
次の瞬間。
彼女は躊躇いなく剣を振るう。
途端に飛び散るのは派手な血飛沫。
「な・・・」
転がるのは王だった男の首。
絶句する人々の前でいつかのように返り血を浴びたまもりは胸元のペンダントを握りしめる。
「我が望み、叶ったり!」
花が綻ぶように、幸せそうに宣言した彼女は血まみれの剣を足下に放った。
響く硬質な音。
「う・・・うわぁあああ!!」
その音に我に返った国民の槍や剣が次々と彼女の身体に突き刺さった。
まもりが絶命しても手を放さなかったペンダントを、国民の一人が強引にむしり取り、検分する。
それは中が空洞で、小物が入るようになっている。
蓋を開くと、小さな骨の欠片がいくつかと、爪が入っていた。
「これは何だ?」
「さあ・・・」
首を捻る者たちに答える者はおらず、彼らが真実を知る術は、もうない。
ヒル魔が目の前で惨殺されたとき、衝撃で鉄格子からこぼれ落ちた左腕。
『ヒル魔、くん・・・』
それが、ほんの一瞬前までまもりの名を呼び、頭を撫で、キスをくれた最愛の人の―――なれの果て。
『いや・・・ぁ・・・』
涙が溢れ、絶望に打ちひしがれるまもりの耳に、ヒル魔の言った追っ手の声が聞こえる。
ヒル魔の腕を抱えて、その場から逃げたかった。
けれどそれが許されないだろうと、聡明な彼女の頭は実に冷静に、判断を下した。
全てを持っては行けない。ならば。
まもりは咄嗟にその薬指を食いちぎり、隠し持ったのだ。
こんな事態になったのは、こんな目に遭ったのは、ただ一人の男のせいだ。
ならば復讐を。
自らの国の王が、国民が、何より愛するヒル魔が受けた苦痛を、かの男にも。
その誓いのために、ヒル魔への愛を貫く拠り所とするために。
永遠を誓うリングが嵌るはずだったヒル魔の指を、まもりは欲したのだ。
密かな誓いの元、憎い男に抱かれ続け、感情を押し殺し、苦しみ悶える人々の前で殊更笑みを浮かべ。
人々の不安、不満、憎悪、嫌悪、ありとあらゆる負の感情を呼び覚まし。
そうして、人々にかつては敬愛したであろう王を裏切らせ。
最後には最愛にして最後の味方だと思っていた妻にも裏切られるという最大の苦痛と、死を与えた。
それは、恐ろしい程の執念で練り上げられ、成し遂げられた復讐劇。
その幕引きを終えて、まもりは死して尚、満足そうに微笑んでいた。
***
『アイアン・メイデン』は『鉄の処女』とも呼ばれる処刑具の一つです。
当初の拍手だとなんだか言葉が不足していたので、かなり加筆修正しました。満足です!
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ついうっかりブログ作成。
同人歴は読み専門も含めると二桁は楽勝。
よろしくお願いいたします。
【裏について】
閉鎖しました。
現在のところ復活の予定はありません。
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よろしくお願いいたします。
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